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回答(4件)
書家が、一人で、大きな文字を書くために、大きな紙に、立って歩きながら?書くみたいのは、昔もやってましたよ。 何人もで、詩のようなメッセージを書くというのは、昔はなくて、ここ十数年あたりで盛んになってきたと思います。 大きな紙を人数分用意できないから、みんなで書こう!みたいなノリで始まったんかな?と思います。
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2008年ごろ 愛媛県立三島高校が誕生させた 愛媛県では古くから和紙づくりが盛んで、特に伊予和紙(いよわし)が代表的で女子高生に和紙を大量に消費させるのが目的で始まった >書道なのか? パフォーマンス書道とか 女子高生のお遊びとか、意見は分かれていますね (書道部の文化祭の思いで作りという高校もある) まぁ、邪道でも期間限定かな。女子!若い!元気!が注目を集めるし 需要がその枠でしかないような・・・ 書道も音楽のように ・ジャンルが増えた ・枝分かれした、という見解もありますよ 書道かどうかは?個人の意見としては お披露目をする パフォーマンス書道でしかないと思います
複数の人数で書く書道パフォーマンスは、2000年代になってから始まりました。 部活動における書道の普及のためだと思います。 書家も監修した映画やドラマなどで紹介されたり、大会が始まりました。 もともと地味な部活動だった書道に関心を持ってもらう、若い書道人口を増やすことにおいて一定の効果はあると思います。 チームワークで作品を作るというのも、部活動では大切なことです。 また大きな筆で書くのは技術が必要です。 大筆を叩きつけて引きずっても字にはなりません。 複数人で書くのも、技量を揃えないと見た目がよくないので、古典臨書の猛烈な練習が必要だと思います。 (臨書でないと、作品の品格が下がるからです。品格がない大作は見苦しいです) ただ本来の書作品は、一人で書きます。 画面を埋め尽くすのは、本来の書の美とは異なります。 また音楽やダンスは不要です。 書線によってリズムや音楽を感じるのが書作品です。 書家による大きな作品は、筆づかいがまるでダンスのように変化をします。 カラー液を使わずとも、「墨に五彩あり」という表現をするのが書道です。 「作品を通して」それらを感じて楽しんで欲しいと思います。 ですからあくまでもパフォーマンスは、学生時代(或いはイベント)の一つのジャンルにすぎません。 王道であれば二十年経っていますから、作品が進化していいはずです。 でも変化しているのはダンスだけですよね。