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イスラム教では、相手から戦いを挑んできた場合や、迫害行為をしてきた場合は、敵と戦い、勝つことが神への栄光と考えますか? 異教徒をころすことは、アッラーへの栄光と捉えるんでしょうか。

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「アッラーへの栄光」> というより、「異教徒をころすことは」イスラム教徒の「義務」です。 まず「コーラン」第9章5節に 「聖月が過ぎたならば、多神教徒を見付け次第殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、また凡ての計略(を準備して)これを待ち伏せよ。」 とあります。 引用元 http://www2.dokidoki.ne.jp/islam/quran/quran009-1.htm 「コーラン」はイスラム教においてはムハンマドが大天使ガブリエルを通して伝えられた「神の言葉」を文字にしたとされる最高聖典であり、なにものにも代えがたいものです。 その重要性はキリスト教における「聖書」をしのぎます。 例えば日本でも2001年にコーランを廃棄したことによりイスラム教徒により、暴動一歩手前までいった事件が過去に起きています。 コーラン廃棄事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%BB%83%E6%A3%84%E4%BA%8B%E4%BB%B6 その『コーラン』において、多神崇拝は「不浄」で「甚大な悪」(31章13節)と記され、滅ぼすべきものとされています。 以下は飯山陽著「イスラム教再考」( https://amzn.asia/d/avlpM5N ) より引用です--- 以下引用 ------------- 『コーラン』第9章28節は多神教徒について、「彼らは本当に不浄」としています。 第二代正統カリフのウマルは多神教徒について、「彼らの血は犬の血にすぎない」と語ったと伝えられています。 イスラム教の教義において不浄とされるものは、犬の他にも豚、人間や動物の大小便などが挙げられます。 私たち日本人のような多神教徒はそれらと同じ「不浄」カテゴリーに分類され、その血は流されても問題ない、つまり殺しても差し支えないとされます。 『コーラン』第98章6節には、啓典の民も多神教徒も「被造物の中で最悪の者」とあります。 第3章10節には 「不信仰者の財産も、その子供たちも、神の前には何の役にも立たない。 かれらは(地獄の業火の薪となるだけ」、 第3章116節には 「かれら(不信仰者)は地獄の住人であり、永遠にその中に住む」 とあります。 ピューの同調査では、どの宗教の信者が天国に行くと思うかという質問に対し、エジプト人とヨルダン人の96%、イラク人の95%、モロッコ人の94%、マレーシア人の93%が「イスラム教徒だけ」と回答しています。 池上彰は『高校生からわかるイスラム世界』(集英社、2010年)で、 「ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、神様を真剣に信仰していれば、天国に行けると『コーラン』に書いてあるのです」 と述べていますが、そう信じているイスラム教徒はほとんどいません。 --引用おわり イスラム教では異教徒との戦いはジハード(聖戦)です。 日本のマスコミなどでよく、 「ジハードの本来の意味は”努力”なので、ジハードは”人生の目標に向かって奮闘努力すること”です! 本来イスラムは平和な宗教なんです!」 などといった説明がされることがあります。 ・また大ジハード小ジハード論という説明もよくされます。 「「大ジハード」(内へのジハード)は個人の信仰を深める内面的努力を指す一方、「小ジハード」(外へのジハード)は異教徒に対しての戦いを指す」 という説明です。 ですが、飯山陽氏はこれらはぜんぶ欺瞞(ウソ)だと書いてます。 以下全部「イスラム教再考」( https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784594087364 )より引用です。 ●ムハンマドは「最高のジハードとは何か」という質問に対しては、「その者(ジハードに参加した人)の血が流され、彼の馬が負傷するものだ」と答え、「天国とは剣の影の下にあることを知れ」と言ったとも伝えられています。 イスラム法の第一法源、第二法源は『コーラン』とハディース(預言者ムハンマドの言行録)です。 すからイスラム法ではもっぱら、 【ジハードは血を流して行う異教徒との戦争であり、それはイスラム教徒一般に課せられた義務にして、最善の信仰行為だと規定されています。】 ●イスラム法の中に、内面的努力としてのジハードを義務づける規定はありません。 イブン・タイミーヤは 「イスラム法の定める戦争の基本はジハードである。その目的は、宗教が全て神のものとなり、神の言葉が至上のものとして崇められるようになることにある。それを妨げる者に対しては、戦争が仕掛けられねばならぬ旨でイスラム教徒たちの見解は一致している」 「ジハードとその美徳が『コーラン』と預言者ムハンマドの慣行の中で讃えられている回数は数えきれないほどである。ジハードは人間が神に捧げる最高の奉仕の形である」 と述べています。 これが典型的な規範的ジハード認識です。 ジハードが異教徒との戦争であることはイスラム諸国の教科書にも明記され、学校で子供たちに教えられている「常識」でもあります。 NPO「学校教育における平和と文化的寛容の監視のための研究所(IMPACT-se)」は2020年8月、カタールの学校教科書238冊を分析した結果として、ムスリム同胞団の思想の影響を強く受けており、ジハードで戦うことは義務、子供がジハードを愛するよう教えるのがよき母親であると教えたり、ジハードで死んだ殉教者を称えたりしており、 ユネスコが定める「学校教育における平和と寛容」の基準を下回ると報告しました。 ●大ジハードに啓示的根拠なし イスラム史研究者のバーナード・ルイスは、 「ほとんどの神学者、法学者、ハディース学者はジハードの義務を軍事的 な意味で理解している」と述べています。 そして、大ジハード云々というハディースは9世紀前半までに捏造された可能性が高いと結論づけたイスラム史研究者のデイヴィッド・クックは、次のように述べています。 『イスラム教徒によって記された現代および古典の貢献を読むと、精神的ジハードの優位性の証拠はほとんどないことがわかる。 今日、非西洋言語(アラビア語、ペルシャ語、ウルドゥー語など)で執筆しているイスラム教徒は誰一人として、ジハードが主に非暴力的なものであるとか、精神的ジハードにとって代わられたと主張することはない。 そのような主張をするのは、主に神秘主義を研究しているか、あるいは「異教徒間対話」の文脈で語る西洋の学者、および可能な限り最も無害な方法でイスラム教の姿を提示しようとするイスラム擁護論者のみである。』 このハディースが贋作であることは、世界中の研究者にとってすでに「常識」です。 にもかかわらず、日本のイスラム研究者はいまだに「本当のジハードは戦争ではなく内面的「努力」というウソを吹聴し続け、リベラル知識人もそう信じ込んでいるのです。 彼らが堂々とウソをつき続けるのは、「イスラムは平和の宗教」論を唱えるためには「本当のジハードは戦争ではなく内面的努力」論が必要不可欠であり、またいくらウソをついても一般人にバレることはないはずだと侮っているからです。 そしてなぜ彼らが「イスラムは平和の宗教」論を唱えるかというと、「軍国主義で残虐な日本」と対比させイスラム教を称賛するには、絶対に「イスラムは平和の宗教」でなければならないからです。 引用おわり--

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異教徒と言っても、イスラムに友好的な異教徒、そうではない異教徒に大別され、友好的な異教徒は奴隷にすればいいし、そうではない異教徒は◯せばいいというのがイスラムの一般的な価値観です