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「差別」という事への考え方について質問です。 最近「グリーンブック」という映画を観ました。めちゃくちゃいい話で、他の人のコメントを見て見たくなって調べてしまいました。 そしたら「こういう白人が黒人を庇うことで感動を産もうとする映画あるあるだよね」というコメがとても多かったように思いました。 今回の映画は主人公もイタリア系(ラテン系?)ということでそもそもお門違いも甚だしいですが、「最強のふたり」や「ズートピア」でさえこういう「差別を題材にしたらいいと思ってるよね」系コメントが多いことにビックリしました。 私は純日本人だから肌の色で生まれる差別にあまり触れませんでしたし気にしたこともありませんでした。 でも大きくなってある程度物事がわかるようになってからズートピアとかみなおしてみたら、ストーリーの善し悪し別で色んな形で差別を考えるきっかけがあり続けることは大事だと思いました。 日本であっても部落とか村八分とかあったことと思います。でもこういうコメントを残す人に限って目を向けたことすらないんだろうなと思えてきます。 「差別系多いよね」って言ってる人は「日本の恋愛映画ってとりあえず人〇なせたらいいと思ってるよね」と同じだとも思います。でもやっぱり差別というものに向き合った映画に白人至上主義が台頭した文化のある地域の歴史や文化を知らずにこういったコメントだけが残っていくのはとても悲しいです。 みなさんはどう思いますか?乱文長文失礼しました。、

回答(9件)

映画のグリーンブックでは、グリーンブックが実際に黒人コミュニティにどういう働きをしていた事かが全く描かれていなかった事が、反発を招いたのです。 アメリカには当時サンダウンタウンとういう地域があり、日没後にはなると有色人種に何をしても許される地域が存在していました。たとえそれが殺人であってもです。また白人以外にはサービスが受けられない店や施設も沢山あったのです。 冠婚葬祭などで勝手の分からない土地での旅行で、身を守る為に存在していた冊子だったのに、それには一切言及していない、友情映画が賞を取った事が、スパイクリー監督の怒りに火を着けたのです。 どうしてもあの手の異人種間の友情映画を映画を作りたかったなら、タイトルはもっと違うものでも良かったはずです。 当時の特殊な立場の黒人を描く事で、アメリカ社会が犯してきた愚かな人種差別を薄める意図があったのではないかと疑われても、仕方ないと思います。現に批判する人を良く思わない人がいる事が、その証拠ではないでしょうか。

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「差別系あるあるだよね」とか 「黒人を庇う白人あるあるだよね」などのコメントは 斜に構えた、穿った感想がいかにも頭いい感じで 心地よいのでしょう 気楽なものですね お陰で底の浅いコメントだなと思いながら 斜め読みされるのがオチです まぁ、そのような感想しか残せない御仁と言うのは 他人の目より自惚れが勝っているお方でしょうから、 どのように映っていてもお気になさらないご様子です 何を言ってもムダなのですが 人はその類を厚顔無恥と捉えます 日本という他国に比べ熾烈な差別が多くない土地柄では 自らの存在や尊厳を踏みにじるような 圧倒的な差別がまかり通る(または、まかり通っていた)異国のお国柄を知るには 知り得た知識と想像力でしか賄えないので なかなか、差別の当事者意識と言うモノを育めないと思います 差別の当事者意識とは? それは簡単な話で 差別をしているのは誰か?よくよく考えて それは他ならぬ自分なのだと戒めることです そうして、行動する事です そうすれば、安いコメントが激減すること、必定

「グリーンブック」に対する「白人が黒人を庇うことで感動を産もうとする映画あるある」と言う批判は「白人救世主」型物語への批判ですね。 この映画は多くの人を啓蒙する良い面もある一方で、「物語の中心視点が白人運転手」「黒人文化や経験を単純化している」「個人間の和解に焦点を当てすぎで、構造的人種差別を透明化している」という批判が、アフリカ系アメリカ人からも多く出ました。 質問者さんがこの映画を見て、人種差別は絶対に良くないことだと再認識し、この映画を好きだと感じることと、上記の指摘を受け入れることは両立できます。質問者さんの仰る通り、「白人至上主義が台頭した文化のある地域の歴史」を知ることも大切なことですし。

グリーンブックは、素直に良い映画だよね。 ビジネスとして始まった二人の関係だったけど、 同じ時間を共有して、トラブルを乗り越えて、友情を育む。 つまり、個々の人間として付き合えば、 偏見を乗り越えられるというお話しでしょ。 件のコメントを残す人よりも、 主さんの感性の方が真っ当だと思います。 ただ、純粋に映画の話しをするなら、 ピータファレリー監督にしては真面目な映画を撮ったなという印象です。 いつもは、弟のボビーと一緒にファレリー兄弟としてメガホンを取るのだけど、 二人の撮る映画は「障がい者差別」「性差別」「人種差別」ネタが 満載でもっと毒が強いです。 彼らの映画は「差別を笑い飛ばす」という趣旨で作られているのですが、 鑑賞者の消化能力が低すぎて、その真意が伝わらず批判されます。 最高傑作は「ふたりの男とひとりの女」(Me, Myself & Irene)です。 下ネタもバンバン出てきて、大笑いできます。 よろしければご覧下さい。

>>みなさんはどう思いますか? A: まぁ 気持ちは分かりますが 日本に生まれ育った者が何を話そうと「鼻で笑われる」程度だと思います 何故なら 日本には ほぼ「差別がない」からです 日本ですら人種は大多数の大和民族とアイヌ民族・琉球民族が居ます それでも 都市部からどんな地方の僻地でも「日本語(標準語)」という単一言語だけで 意思疎通できる国や地域は殆どありません 逆に それが排他的な身内文化を形成しているとも言えます 私は 世界中の誰でも知ってるレベルの外資系の超巨大企業に出向していた事があります 周りは当然外国人で日本語も話せない人が殆どでした その中で 複数の人が言ってましたが「日本ほど差別がない国は他にない」という事です 私が特に印象的だったのは 「日本にあるとすれば「外人だ!」という差別でw「黒人だ」という差別を受けた事がない」という言葉です これは とにかく日本人は「日本人じゃない人」に過敏すぎだという笑い話と 黒人は世界中で差別を受けるという現実を表しています そんな日本に生まれ育った人間が「差別」を実感できる訳がありません あなたが「外国人」になる状況に身を置くしかないでしょう 映画の話なので ついでに一つ 1939年『風と共に去りぬ』で https://www.allcinema.net/cinema/4510 アカデミー賞 初の黒人受賞者となったハティ・マクダニエルですが 授賞式の最中ノミニーたちが座る客席には居ませんでした 結果が発表され 舞台袖から登場しオスカー像を受け取りスピーチし また舞台袖に帰り客席に座る事はありませんでした これは 当時会場だったホテル(名前失念)が そもそも「黒人入場禁止」だったからです つまり 会場である客席に座っていたのは「白人のみ」という事です コレが当時の「当たり前」です この過去を「マイナス」とするなら 無理やりにでも「プラス」として扱わない限り辻褄は合わせられないでしょう 「過去」は変えられませんが それを踏まえて「未来」は変えられます 今は正に変えてる最中です これが「正解」なのかどうかは 未来という時代が評価します 多分 あなたはまだ若く 今後の人生でそれが「正解であったかどうか」を知ることができると思います