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実は、1971年頃までは、特に願い出て中在家信号場での下車・乗車が可能でした(正確な年月までは当方記憶にございません)。 このような信号場駅での人の乗降(客扱ならぬ便乗扱い)は、主に地域住民の便を図ったもので、各鉄道管理局の定めにより日本全国にその事例があります。 中在家信号場で撮影されたSL列車には、堂々と構内で撮影された画が多く残っていますが、これこそ同信号場での乗降があったからこそです。 s://www.tsd.co.jp/koubou625/nakazaike/nakazaike.html ただ、中在家信号場に関しては、少なくとも1970年代の初期には規制がかかっていました…まあ今も昔も撮り鉄のモラル問題があったようです。 よって、当時の中学生の私はギリで中在家信号場での下車は叶いませんでした。 そうした情報は公済出版の「SLダイヤ情報」(現鉄道ダイヤ情報誌)や、鉄道ファン別冊 「蒸気機関車撮影地ガイド」(交友社)であり、地図も載せてあったので、良い情報源でした。 地図を頼りとしては、一般的には、R25という”酷道”を利用し、あとは地図にもないような林道を歩くという手もありました。 大築堤よりも西側で、列車を俯瞰するような画が多く残っているのも、この林道からアクセスしたものと思われます。 私は中在家(信)には到達していませんが、関西本線での撮影スポットは、よく林道と、さらに先に来た撮り鉄仲間が作った踏み分け道が随所に出来ていて、それをたどれば「おおっ」と思うポイントが現れたものでした。 今も検索して現われる、加太~柘植で撮影された美しい画像は、線路から離れた位置から撮られていますが、そういうわけです。 s://www.tokyo-deathride.com/220423_r25/ 線路を歩く不届き者は当時も居ましたが、決して多数派ではありません。 そもそも鉄道ファン別冊やSLダイヤ情報などの良心的な情報源は、公道アクセスとか、駐車場無い(クルマで来るな)情報など、まっとうなガイドが為されていましたから。 それに、加太駅~中在家信号場までの間には、3箇所のデッキガーター橋があります。 今は犬走り通路に手すりも付いていますが、SLブームさなかの頃は、手すりの無いガーター橋でした。 まあそれでも、スタンドバイミー的に?鉄橋を歩く人も見かけはしましたが、まあモラル違反と度胸試し?の両方で、そうそう並の撮鉄にはできた芸当ではありませんでした。 度胸があるといえば、R25から分かれる、地図にも無い林道を踏破する手もあったと思えますが、こちらはヘタすれば遭難のリスクがありましょう。 そんなわけで、中在家信号場構内での撮影データは、多くが信号場での乗降が可能であった時期に撮影されたものでありましょう。
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質問者からのお礼コメント
詳しい情報をありがとうございます。 確かに、踏切から線路沿いに車が通行できそうなスペースはありました。 正に犬走りでしたし、遮断機が邪魔で道には見えませんでしたけど。 今許されるまともな方法で辿り着くことは、不可能なんでしょうね。
お礼日時:10/11 14:59
その他の回答(2件)
関西線の加太越えの大築堤や、中在家信号場へ撮り鉄などの一般者が行く場合は、線路上をひたすら歩いて行きました。 このため、加太駅から大築堤までは40~50分程度かかり、信号場まではさらに30分近くかかったと記憶しています。 また、中在家に勤務する信号場職員は、出勤時刻に信号場で停車する列車がなかったため、亀山発奈良行の通過列車をポイント上で運転停車させて運んでいました(先頭車両が本屋の短いホームにかかります)。 そして、保線や信号通信の係員は、大築堤の亀山方の端から信号場までの線路脇に道が続いていたため、自動車で行くことが出来ましたが、大築堤の入口には一般車両が入れないよう柵が設けられていました。 ↓中在家信号場までの道などが紹介されています。 https://ameblo.jp/rk-ppp/entry-12605666336.html