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ThanksImg質問者からのお礼コメント

詳しい情報をありがとうございます。 確かに、踏切から線路沿いに車が通行できそうなスペースはありました。 正に犬走りでしたし、遮断機が邪魔で道には見えませんでしたけど。 今許されるまともな方法で辿り着くことは、不可能なんでしょうね。

お礼日時:10/11 14:59

その他の回答(2件)

関西線の加太越えの大築堤や、中在家信号場へ撮り鉄などの一般者が行く場合は、線路上をひたすら歩いて行きました。 このため、加太駅から大築堤までは40~50分程度かかり、信号場まではさらに30分近くかかったと記憶しています。 また、中在家に勤務する信号場職員は、出勤時刻に信号場で停車する列車がなかったため、亀山発奈良行の通過列車をポイント上で運転停車させて運んでいました(先頭車両が本屋の短いホームにかかります)。 そして、保線や信号通信の係員は、大築堤の亀山方の端から信号場までの線路脇に道が続いていたため、自動車で行くことが出来ましたが、大築堤の入口には一般車両が入れないよう柵が設けられていました。 ↓中在家信号場までの道などが紹介されています。 https://ameblo.jp/rk-ppp/entry-12605666336.html

1970年代頃は、加太越えに限らず、雪の積もった北海道でも、殆どの撮り鉄は線路上を撮影ポイントまで歩いて行きました(当時は撮り鉄とは言いませんでしたが)。 このため、中在家や大築堤まで国道等を歩くというのはいなかったですし、それは行った経験のない者が地図やブログを見て言う台詞です。 加太は家から片道3時間もかからなかったので、しょっちゅう行っていましたよ。 貼り付けたのは、高校時代に撮った写真です。

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徒歩です。線路の路盤を歩いた人が多いでしょう。当時はそれが普通に許されていたのです。