自動車研究家“山本シンヤ”が聞いた「MORIZOがニュル24時間へ挑む理由」
第2回:プロローグ2~モリゾウこと豊田章男さんとのニュルでの出会い~
2025年8月29日 14:51
2007年にトヨタがニュルブルクリンク24時間耐久レース(以下、ニュル24時間)に参戦を行なった。ただ、チーム名は「GAZOO Racing」とトヨタの名は使われていなかった。
ちなみに「GAZOO」とは1996年に開発した中古車検索の画像システムで、画像と動物園(ZOO)の造語である。
当初は専用端末が中古車販売店に設置されていたが、1997年にインターネット上に会員サイトがオープン、それが「GAZOO.com」だ。トヨタはクルマをたくさん売るもエンドユーザーとの接点が全くなく、「お客さんの声を直に聞きたい」という思いから生まれたと聞く。このサイトにはクルマ好きが集えるような、さまざまなコンテンツが用意されたが、その1つが「GAZOO Racing」だったのである。
参戦理由は「世界最高峰の草レースを通じてクルマの持つ、本当の魅力と楽しさを伝えたい」だった。ちなみにGAZOO.comのコラム「モリゾウのドライバー挑戦記(2007~2016年)」の第1回目「モリゾー、レースにデルゾー」には、このように書かれている。
「チームGAZOOのドライバーの多くは、ごく普通のサラリーマンたちです。そして、この挑戦は、これまでの集大成なのです。われわれが普通と少し違うのは、もの心のついた時からクルマが好きでたまらない人たちだということです。仕事でもプライベートでもできれば常にクルマに接していたい、皆、純粋にそう思っています。そういうクルマの魅力、楽しさを、もっと多くの人に伝えたい、それがこの挑戦を始めたきっかけです」
筆者は「トヨタが今さら何を言っているの?」と思ったが、当時のトヨタはクルマを生業にしながらも、どこかビジネスライクで、上記のような気持ち・思いはユーザーには伝わっていないように感じた。それはモデルラインアップにも如実に表れていた。
かつて、トヨタには2000GT、スポーツ800、スープラ、セリカ、MR2、MR-S、レビン、トレノなど、さまざまなスポーツカーがラインアップされていた。またセダンにも、高性能エンジン搭載の「羊の皮を被った狼」のようなGTグレードも必ず設定されていた。
しかし当時のトヨタは、手間がかかる割には販売台数が見込めないスポーツカーはリストラ対象で、次々とラインアップから消えていった。そして2007年にMR-Sの生産終了で、トヨタからスポーツモデルが完全に消滅……。
確かに効率や業績、数字だけを追い求めていくと「スポーツカーは不要」という考え方はビジネスとしては正論だろう。確かにそのころ、トヨタは販売台数では世界No.1になったが、クルマ好きからの評価は「トヨタはつまらない」「欲しいクルマがない」と完全にソッポを向かれていた現実……。その反省、その脱却に向けて動いたプロジェクトがGAZOO Racingだったのだろう。
ニュル24時間に挑戦するメンバーは、ドライバーも含めてトヨタ社員で構成されていた。その中心メンバーは成瀬弘氏と豊田章男氏。面白いのはメンバーは実名ではなくあだ名で呼ばれていたことだった。ちなみに成瀬氏は「キャップ」、そして豊田氏は「モリゾー(当初はモリゾウではなかった!?)」と呼ばれていた。改めて今それを見ると、豊田氏が常日ごろから語る「肩書ではなく役割で働く」のパイロット版のようにも感じた。
筆者は城市編集長から、「章男さんは創業者(豊田喜一郎)の孫。現在は副社長だけど、いずれは社長になるよ」と聞かされていた。以前「BMWではニュルを満足に走れないと役員になれない」という話を先輩から聞いたことがあったが、トヨタにもそんな役員がいることに驚いた。ただ、当時の筆者の興味は申し訳ないが豊田氏よりもニュル24時間の方が上だった。ただ、今思うとフィルターをかけることなく豊田氏を見ることができたのかなと思っている。
最初はニュル24時間の場で、すれ違いざまにあいさつする程度だったが、ある時カメラマンと「次に会ったら、何か話してみよう!」と決意。メディア駐車場からパドックに向かうトンネルを歩いていると、目の前から豊田氏の姿が……。宿泊先のドリントホテル(ニュルの正面ゲートにある)に向かっていたようだが、「こんにちは、XaCARという自動車雑誌を作っています。毎年ニュル24時間の取材に来ていますので、よろしくお願いします」と伝えると、「毎月読んでいますよ」と。これだけならよくある社交辞令の1つだが、豊田氏は加えて「●月号の▲▲の記事はとてもよかったですね」と、予想外の回答が出てきて驚いたことを、今でも鮮明に覚えている。
帰国後に城市編集長にその話をすると、笑顔で「章男さんの部屋には必ずXaCARが置いてあるそうだよ」と聞かされ、さらに驚いた。XaCARは自動車総合誌ながらも「日本車応援団」「スポーツカー大好き」をコンセプトに誌面作りをしていたが、そこに共感してもらえていたのかな……と。
ひょんなことから豊田氏の「クルマ好きのおじさん」の一面をリアルに知った筆者だが、実はこの時の原体験こそが「豊田章男……いやモリゾウをもっとよく知りたい」と思うきっかけになったのはいうまでもない。