サッカーの日本代表チームが好調だ。開催中のアジアカップでは、グループリーグを一位で勝ち上がって、決勝トーナメントにコマを進めている。
 先行きについてはまだ不透明な部分もあるが、今大会の結果がいずれに転ぶのであれ、とにかく、新生日本代表の選手諸君が実力をつけてきていることだけは疑いない。ひとつひとつのプレーの精度が、前の世代の選手たちと比べて、明らかに際立っている。まことにめでたい。

 サッカーを見ていてうれしいのは、伸び盛りの若者の姿を日々確認できることだ。さよう。成長と躍進。われわれ日本人が見失って久しいものだ。その伸び盛りの若々しいプレーぶりに、私のような旧世代の人間は、懐かしさを覚えるのである。

 サッカーを別にすれば、わたくしどもの国自体は、長い停滞のうちにある。もしかして、これは一時的な停滞ではなくて、何かの終わりなのかもしれない、と、そう思えてくるほどに長い低迷期だ。かれこれ20年になる。ザック・ジャパンの選手たちの全人生に相当するデッドロック。いくらなんでも長い。

 だからなのかどうなのか、若い者が内向きになっているということが、ことある毎に喧伝される。
 で、その傾向に対して、中高年の男たちは、苛立ちを隠さない。
「とにかくチマチマしてやがるんだ」
 と、おっさんたちは、寄ると触ると若い連中の覇気の無さについて語り合っていたりする。
 世の中がギスギスしている。
 とても良くない。

 今日もどこかの雑誌のページで、「識者」を名乗る中高年が、日本の若者の内向き志向を指摘し、その傾向を嘆き、彼等を叱咤し、海外に雄飛するべきである旨を力説している。見る前に跳べとか、跳ぶ前に考えるなとか。

 言いたいことはわかる。
 内向きな若者は、たしかに、ハタから見て、闊達に見えない。
「しっかりしろよ」
 と言いたくなる。
 私も半分ぐらいはそう思っている。
 でも、若い連中の立場に立って考えてみれば、たぶん、内向きになってしかるべき理由があるはずなのだ。無理からぬ事情みたいなものが。

 今回は、「内向き」ということについて考えてみたい。
 若い人たちが内向きになっているという俗説が本当なのかどうか。
 本当なのだとすると、その原因は奈辺にあるのか。
 また、内向きであってはいけないと、どうして「識者」はそのように考えるのか。そういったあたりのあれこれについて。

 私自身は、どちらかといえば内向きな男だ。昔から、様々な場面で、その点について指弾されてきた。
「ものを書く人はもっと見聞を広めないと……」
 と、ド素人のおばさんに面と向かって説教をくらったことさえある。
「いやあ……ははは」
 と、そう言われてなお、あえて論駁しなかったあたりが私の弱点で、もしかして、そういうヌルさも含めて、人びとは私を内向きと評価したのかもしれない。うむ。なので、ここでは、言われっぱなしの若い人たちと共闘するつもりで、ひとつ反論を試みてみようかと思っている。
 内向きには内向きの良さがある、ぐらいな形で、前向きの結論が提示できればまずは上出来。ま、苦しい論陣にはなるだろうが。

 サッカー選手は外向きだ。のみならず前向きでもある。
 現に代表選手のおよそ半数が海外のクラブに所属している。国内組も虎視眈々と海外移籍を狙っている。
 高校サッカーの選手でさえ、マイクを向けられると、ヨーロッパリーグでのプレーを目指している、と、はっきり口にする。
 なるほど。サッカーの世界に限っていえば、若者は、内向きになどなっていない。むしろ、前の世代よりも、より海外志向の度合いを強めている。

 彼等が「外向き」である理由は、はっきりしている。
 サッカーが、成長分野だからだ。
 成長過程にある集団の中にいる若者は、外界に対して積極的な態度をとる。当然の反応だ。
 別の見方をすれば、サッカーの世界では、日本はいまだに発展途上国で、だからこそ、海外から得るものがそれだけ大きいということなのかもしれない。

 そう考えてみると、現代の若者が内向きであることの原因も見えてくる。
 理由は、必ずしも彼ら自身の心性に内在するのではない。むしろ彼等をとりまく状況が彼等を内向きにさせているというふうに考えるべきだ。
 具体的に言うと、国としての日本が世界の中で停滞しているという事実が、その中にいる若者の海外志向に水を差しているということだ。
 上の世代の人間は、「若者が内向きだからこの国が停滞している」というふうに考えることを好む。事実、そういうふうに思い込んでいるおっさんは多い。
「若い奴らがあんな調子じゃ、この国の将来も知れてるよ」
 といった調子で。

 だが、それは原因と結果を取り違えた見方だ。
 まず、日本の経済と社会が停滞しているという客観情勢がある。そこを第一に認識せねばならない。
 だからこそ、その停滞状況のもとにある若者たちは、内向きに振舞わざるを得ない、事実はそういうことだ。
 考えて見ればあたりまえの話ではある。
 泳ぐ人間が少ないから水温が下がっているのではない。
 水が冷たいから、遊泳客が減っているというだけの話なのだ。

 1980年代の後半から90年代の初頭にかけて、いわゆる「バブル」と言われた時代の日本は、現在の状況からは想像がつかないほど、思い切り外向きの国家だった。
 経済的に恵まれていたというだけではない。
 商品の流れや、職場の環境や、為替の動向を含めたあらゆる状況が、海外を志向していた。
 であるから、そのバブル期を30代の働き盛りとして過ごした私の世代の男たちは、いつも気がつくと成田空港に立っていた。そういう時代だったのだ。

 私たちの前の世代の人間にとって、海外は、想定の外にある異郷だった。
 われわれの世代でも、若い頃は同じだ。学生時代に海外に行く者は稀だった。大学生が卒業旅行として当たり前のように海外に出かけるようになるのは、私より5歳以上年下の世代になってからのことだ。
 つまり、1970年代までは、普通の日本人にとって、外国は、まだまだ夢の世界に属する場所だったということだ。
 その天国が、1980年代の半ばを過ぎた頃、為替相場の垂直落下(円高の進行。グラフ上では「落下」になる)とともに、突然、手の届くところに降りて来る。

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