今日も青春時代に良く聴いたレコードを振り返る。
今日はイエス『危機』だ。
原題はClose to the Edgeである。

Howe and Anderson, 1973
『危機』という邦題は分かったような、わからないような感じである。
前回も書いたが、昔、日本のレコード会社の人は、ロックの題名を大げさな日本語に訳すという文化があった。

1972年の作品であり、さすがに現役では聴いていない。
高校時代にさかのぼって聴いたのだ。
もともとクラシックの、それも映画音楽的な雄大な感じのするオーケストラの作品を聴いてテンションを上げるのが当時好きだった。
その流れでロックの中でもプログレ、特に雄大で美しいイエスに惹かれていた。

イエスの5枚目のアルバム『危機』は、その前の作品『こわれもの(Fragile)』と並んでイエスの最高傑作と言われている。
ぼくは前回紹介した8枚目の『究極(Going For The One)』の方が上だと思うのだが、一般的に『こわれもの』、『危機』の方が人気が高い。

理由ははっきりしていて、『危機』はロックの歴史の中でも最も技巧派と言われるビル・ブラフォードがドラムを叩いた最後の作品だからである。
次の『海洋地形学の物語(Tales From Topographic Oceans)』からはアラン・ホワイトに変わっている。

アラン・ホワイトも相当技巧派のドラマーである。
イエスで最も難しい作品であろう「サウンド・チェイサー」(7枚目の『リレイヤー』に入っている)もホワイトが叩いている。

ブラフォードは非常に手数が多く、しかも正確なので「うまい」と言われる。
ホワイトはどちらかというと大きなノリで、単純なエイト・ビートを調子良く叩いている印象がある。

日本人のロックの聞き方はとかく技巧主義である。
ジェフ・ベックやジャコ・パストリアスのようなギター・ヒーロー(ジャコはベースだが)がやたら持ち上げられる。
ジミー・ペイジやスティーヴ・ハウはギターが下手だとか言う。

ぼくはこの感覚がよく分からない。
音楽は芸術で、作業ではないので、速く正確にすることにどれほど意味があるのか分からない。
気違いじみた技巧派で、その常軌を逸した技巧派っぷりが芸術的というのなら分かるが、独特な個性がある人を「下手だ」と言うところが幼稚な気がする。
たとえばマイルス・デイヴィスのオルガンを「下手だ」と言うことにどれほどの意味があるか。
ないと思う。

ブラフォードはイエスを脱退して、キング・クリムゾンに入る。
ブラフォードが何かのインタビューで答えていたが、「イエスはコーラス・グループで、クリムゾンは絶対王者だった」ということだったらしい。
ブラフォードがクリムゾンに入ってからの作品は「レッド」、「太陽と戦慄」などと傑作そろいだが、イエスの作品に比べてそれほど絶対的に優れていると思わない。

イエスとクリムゾンを比較すると、クリムゾンの方がプレイヤー志向で、ジャズ・ロック的なテイストがある。
イエスは超絶技巧の聖歌隊のような美しく、宗教的な音楽で、あまりロックやジャズのブルージーな要素を取り入れていない。

『危機』はビニールのアルバムでA面1曲、B面2曲という大曲主義の作品だ。
この当時からロックは完全にシングル・チャートを度外視し、アルバム主義に変わった。

A面のすべてを占める大作「危機」は4つのパートからなる組曲で、クラシックの交響曲を意識している。
たしか指揮者のピエール・ブーレーズが?「完璧な構成の曲だ」と述べたというが本当だろうか。
調べがつかなかった。

イエスはプレイヤー志向のバンドではあるが、同時にコーラス志向のバンドでもあり、フィフス・ディメンジョンやビーチ・ボーイズばりの美しいハモりが多用されている。
リード・ヴォーカルのジョン・アンダーソンはまだしも、ギターのスティーヴ・ハウやベースのクリス・スクワイヤは弾きながら歌うのは大変だと思う。
ただ、ハウとスクワイヤは弾きながら歌うことに意味を見いだしているようだ。



『危機』を初めて聴いたとき、なんて天上的な、非現実的な音楽だろうと思った。
なぜこんな音が出るのか、こんな曲を思いつくのか、まったく分からない。

イエスは優れたライブ・バンドとしても知られているが、ステージにおびただしい量のスモークを炊いて、雲の上で演奏しているようなパフォーマンスをしていた。
ハウに言わせると「どのエフェクターを踏んだから、ギターの音がどう変わったなんて観客に思って欲しくない」ということで、やっぱりそうかーと思った。
「ロック」というジャンルの枠組みや、エレキ・ギター、アコースティック・ギター、ベース、ドラム、ハモンド、シンセサイザー、ピアノという楽器の枠組みを忘れさせる、超現実的な音の奔流に身を任せるという感じの音楽体験である。

ただ、後年同じアルバムをCDで聴き直すと、音の輪郭がクッキリしているので、ああここはハモンドだなー、ここはシンセだな、ということが分かるようになって、やっぱりイエスも普通のバンドなんだな、当たり前だけど、と、少々興ざめになったのを覚えている。

『究極』に比べると『危機』はハウのギターのフレーズが難しい。
フリー・ジャズ的な、無調的な小難しい音楽である。
これもイエスの音楽としてはあまり好みでない。
無調的な、小難しいフレーズを、どんなに早弾きされても、本当にうまいのか、ただメチャクチャに弾いているのか素人には分からないのである。
ただこれも大人になって、いろいろジャズとか聞きかじるようになって、改めてスゴイ音楽だなあと思い、楽しんで聴けるようになった。

2曲目(B面1曲目)の「同志(And You And I)」は、ハウのアコースティック・ギターをフィーチャーした、一転してフォーキーで甘い音楽だが、これも素晴らしい。



ファンタジー的な、幻想的な風景が浮かぶ音楽である。

3曲目の「シベリアン・カートゥル(Siberian Khatru)」はギターのリフを中心にしたレッド・ツェッペリン的な音楽だ。
(この曲のギターのリフは後年SHAZNA版の「すみれSeptember Love」にサンプリングされている。)



こうやって考えるとジョン・アンダーソンもジョン・アンダーソンなりにポップスとしてバランスのとれた、聴きやすいアルバムを作るように気を使っていたんだなーと思う。

「シベリアン・カートゥル」は途中いきなり「アルプス一万尺(ヤンキー・ドゥードゥル)」が取り入れられていて、どういう意味なのかまったく分からない。
最後言葉のフラグメンツをたたみかけるジョン・アンダーソンお得意の手法でカッコよく終わる。

非常にテンションの高いアルバムである。
イエスのもう一人の顔であったキーボードのリック・ウェイクマンは難解な音楽を嫌い、次の『海洋地形学』を録音している最中にイエスを去ることになるが、同じぐらい難解な『危機』をノリノリで演奏している。
難解である、大曲である、大衆的でないという表面的な印象を吹き飛ばすような、パワーにあふれた音楽だ。
「難しいから受け入れられない」ということは、当時のイエスにはまったく当てはまらない。