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『戦犯合祀』 靖国神社、厚生省と綿密協議

2007-03-29 17:21:30 | æ†²æ³•
  写真は、国立国会図書館が公表した「新編 靖国神社問題資料集」(上)
  (共同通信Web版より引用)


昨日、国会図書館が公開した歴史文献の中で、戦犯の靖国合祀に関して、従来説明されてきた「靖国神社自身の判断による」との見解を突き崩す事実が明らかになった。
厚生省(当時)が、名簿を示し密接に協議していたのはもとより、
厚生省は「個別審議して、差し支えない程度で、しかも目立たないよう合祀に入れてはいかが」と提案していたという。
『目立たないように』と言ったところに問題の本質が現れているようだ。

憲法の政教分離原則に反するのは言うまでもない。
しかし、この事実を知った安倍首相は3月29日の昼の官邸での記者質問に、
「問題ないと思う。合祀を行ったのは神社でしょうし、旧厚生省は情報を求められて情報を提示したということじゃないですか」と述べたらしい。(一番下の記事リンクをクリック!)
まあ、この人ならこういう言い方はするだろうな、と予想はついたが、こういう憲法違反も閣僚の不祥事も堂々と押し切ってしまうところが安倍首相らしい。

今まさに行なわれている政治戦で、こういう勢力に国民の決意を示さなければならない。
AbEnd!と

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これについてのWebニュースは、さすがに産経新聞の内容が充実しているように見える。
A級合祀、昭和44年提示 靖国神社、厚生省と綿密協議 国会図書館が資料(産経新聞) - goo ニュース

ブログに引用するには、相当長いので、上記リンクから御覧いただきたい。

他のgooNews上のWeb記事は下記の通り
共同通信:3/28,20:20
asahi.com:3/28,23:45
YOMIURI:3/29,03:00
安倍首相、国関与「問題ない」 asahi.com:3/29,13:47
韓国が靖国合祀で不快感 共同通信:3/29,17:34



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【今日も御覧頂きありがとうございます。
ついでにワン・クリックしていただければ嬉しいです。
】
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なお、読まれなくても良いが、資料として産経新聞(goo ニュース)をコピペ
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A級合祀、昭和44年提示 靖国神社
 厚生省と綿密協議 
  国会図書館が資料

2007年3月29日(木)05:14

 国立国会図書館は28日、靖国神社が提供した内部資料や、これまで非公開だった中曽根内閣当時の「閣僚の靖国神社参拝に関する懇談会」(靖国懇)の議事録など、靖国神社に関する資料集を公表した。靖国神社が昭和44年、「A級戦犯」を「合祀(ごうし)可」とする見解を示す文書を厚生省に提示するなど、戦後、両者が一体となり合祀を進めてきた過程が明らかになった。

 旧陸、海軍両省の業務を引き継いだ厚生省援護局と靖国神社は、「合祀基準に関する打合会」などを頻繁に開き協議。この過程で厚生省は41年2月8日、A級戦犯を含む合祀の名簿である「戦争裁判関係死没者に関する祭神名票」を靖国神社に送付した。

 これを受け44年1月31日、靖国神社社務所で開かれた会合で神社側は、厚生省との「再確認事項」として「法務死没者」の「A級(12名)」と「内地未決死没者(10名)」を「合祀可」とすることを提示した。ただ「総代会の意向もあるので合祀決定とするが外部発表は避ける」とし、世論の動向を気遣っていたことをうかがわせた。

 その後、靖国神社は45年、総代会でA級戦犯の合祀を決定する。実際に合祀したのは53年10月で、その9年前に一定の結論に達していたことになる。合祀されたA級戦犯が14人となったのは、東京裁判の未決勾留中に死亡した松岡洋右元外相と海軍の永野修身元軍令部総長が「内地未決死没者」に含まれているためとみられる。

 BC級戦犯の合祀についても慎重に検討が進められたことも分かった。33年4月9日の打合会(第4回)で厚生省は「個別審議して、差し支えない程度で、しかも目立たないよう合祀に入れてはいかが」と提案。同年9月12日の打合会(第7回)でも「全部同時に合祀することは種々困難もあることであるから、まず外地刑死者を目立たない範囲で了承してほしい」と、BC級戦犯の合祀を先に決定するよう打診した。

 36年8月15日、靖国神社は「終戦後における合祀審議の状況」の中で、A級戦犯は「保留」とし、BC級戦犯のうち外地処刑者は「合祀」、内地処刑者は「合祀予定」とした。


 資料集は「新編靖国神社問題資料集」で、A4判1200ページ。資料集は非売品で、5月の連休をめどに国会図書館のホームページ(HP)に公開される予定。

                   ◇

 ■合祀判断 慎重さ裏付け

 国立国会図書館が公表した「新編靖国神社問題資料集」は、戦後、国(厚生省)と靖国神社が一体となって「A級戦犯」を含む戦没者、戦犯刑死者の合祀に努力してきたことを裏付けるものだ。

 靖国神社が全面的ともいえる協力で提供した内部資料は、合祀基準の形成の過程、とりわけこれまで判明していなかった戦前の合祀基準も含まれており、日本の戦没者追悼の歴史を検証する上で一級の資料といえる。

 敗戦に伴い陸、海軍両省は廃止され、靖国神社は宗教法人化された。陸海軍両省の業務を継承した厚生省援護局が、靖国神社と協力して戦没者の合祀作業を進めたのは、戦没者を認定する能力が厚生省にしかない以上、当然のことだ。厚生省が戦没者の「祭神名票」を靖国神社へ送付してはじめて、合祀が行われていた。これを知りながら「政教分離に反する」と批判する向きがあるが、戦没者合祀をやめよと言うに等しい。

 厚生省と靖国神社が戦後、綿密な協議を重ね合祀を進めた事実は、戦没者や連合国の戦争裁判によって処刑された人々への慰霊をまっとうする責任を、当時の政府が果たしていたことを意味する。

 靖国神社が「新聞報道関係の取り扱いいかんで、その国民的反響ははなはだ重要な問題として考えなければならない」(昭和33年9月12日)としたように、協議は時間をかけ慎重に進められたことがうかがわれる。ただ、今回の資料集では、なぜ53年の時点でA級戦犯の合祀に踏み切ったかその理由までは示されていない。(榊原智)
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(以上、産経新聞Web版;3/29)





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厚生省援護局の正体は陸、海軍省 (布引洋)
2007-03-30 10:16:22
敗戦までは陸軍省、海軍省で厳格に審査した後に、天皇の裁可を受け合祀されていました。
人が神に成るのですから厳格な審査、手続きが必要だったのです。
第二次世界大戦までは軍人軍属が、誰でも死んだら成れた訳では有りません。

敗戦までは陸軍省、海軍省が有り現職の軍人(大概は大将)がそれぞれ大臣をしていました。
この大臣達は軍の威光を背景にして総理大臣に対しても独立性を持っていました。
首相と言えども勝手に軍に対して口出しや、大臣の首のすげ替えが出来なかったのです。

戦後廃止されて其の残務処理の為に厚生省に引揚者援護局を新設しました。
厚生省援護局の内容はミニ陸海軍省だったのです。
局の構成員の内容は軍の左官クラス(大佐、中佐)がなっており彼らがBC級戦犯の恩給や名誉回復をしました。
其れに成功すると次にA級戦犯の恩給にだけでなく、名誉回復も図りました。
靖国に合祀名簿を送ったのは『旧軍の亡霊』のようなこの連中です。
政府に関係ない、一民間の宗教法人の行為などでは有りません。
旧軍の亡霊(ゾンビ)のような「援護局』と、何としても戦後民主主義体制を否定したい松平宮司との合作で戦犯の合祀が進められました。

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