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1995年10月21日、沖縄県宜野湾市で8万5千人が参加する県民大会が開かれた。米兵による少女暴... 1995年10月21日、沖縄県宜野湾市で8万5千人が参加する県民大会が開かれた。米兵による少女暴行事件への怒りが大きなうねりとなり、結果として米軍普天間飛行場を返還する日米合意につながった。ただ、返還は今も実現せず、政府と沖縄県が普天間の移設をめぐり激しい対立を続ける。これまでの20年の軌跡を振り返る。 95年10月21日。宜野湾市で開かれた県民大会に駆けつけた沖縄県の大田昌秀知事は熱気に圧倒された。8万5千人(主催者発表)が同市の海浜公園を埋め尽くしていた。「子連れの母親が目立つのが印象的だった。県民の憤りが凝縮されていた」 憤りが日米安保そのものに向かうのを恐れた両政府は同年11月、在沖米軍基地の整理・縮小を協議する日米特別行動委員会(SACO)を設置。翌96年、村山富市政権を継いだ橋本龍太郎首相は2月18日、親しい財界人を大田氏の元に派遣した。大田氏は要望を問われ、「普天間です」と答
2015/10/18 リンク