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新たな刺激を求めて渡米 ドタバタでツアーに挑んだ秘話も ――『In The Precious Age』(1987年9月)から... 新たな刺激を求めて渡米 ドタバタでツアーに挑んだ秘話も ――『In The Precious Age』(1987年9月)からは、ロサンゼルスにて、現地のミュージシャンを起用してレコーディングを進めるという体制になっていきました。ガラリと制作環境を変えた心持ちは、どのようなものだったのでしょう? 『In The Precious Age』 浜田麻里(以下、浜田):まずはそれまでのマネージメント事務所から離れ、体制を一新する必要がありました。前作からそれを見越して計画を立ててきたんです。一気に新しい環境に向かえるようにと。事務所を離れるということは、内情的に同系列だったビーイングでのアルバム制作をやめることを意味しました。次に向かう先は、もう日本にはないなという直感があったんです。ビクター(エンタテインメント)の協力を得ながらではありましたが、独立独歩の第一歩は、アメリカでの制作環境の構築でし