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短歌をふたたびささやかに楽しむようになって、日常の草木に目を向けることが多くなった。 その機会と比... 短歌をふたたびささやかに楽しむようになって、日常の草木に目を向けることが多くなった。 その機会と比例してたびたび痛感することがある。それは、自分は「花や鳥、山野草、日常的に触れる自然の名前をほとんど知らない」ということ。 この劣等感は以前にも感じたことがあった。 就活で東京を訪れた折、ヲリちゃん(仮名)と井の頭公園でいっしょにあひるボートを漕いだときだ。 ヲリちゃんは高校の同級生で、ほとんど授業には出ず、その後美大に進学しようと東京に出るも「審査するその年の教授の好みに沿うような画を描かなければいけない」という美大入試の不文律に我慢ならず立川で数年間モラトリアムかつロックンロールに生きていた友人である。 また「ああ、普通の人には絶対に手がとどかない圧倒的な才能がたしかに存在するのだ」というのを私に初めて体感させてくれた油彩画の描き手でもある。 ヲリちゃんとあひるボートを漕いでいるとき、遠く
2015/06/02 リンク