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京阪電車の東福寺駅から本町通(伏見街道の京都市側)を北へ5分ほど、東側に鳥居と拝殿にかかる提灯が目... 京阪電車の東福寺駅から本町通(伏見街道の京都市側)を北へ5分ほど、東側に鳥居と拝殿にかかる提灯が目を引きます。神社の創建や由来は不詳ですが、歴史は古く「源平盛衰記」に旧名「武鶏ノ社」の名が記され、東大路の五条あたりから応仁の乱などで場所を転々とし、豊臣秀吉の大仏殿建立に伴う移転で現在地へと移されました。 江戸時代の初期には幕命により、社殿を修理、神社名を瀧尾神社とされています。 現在の社殿は、江戸時代後期・天保10年(1839)~11年に大丸百貨店の創業者下村彦右衛門が行商の頃より、自宅のあった伏見区京町から毎朝欠かさずお参りをしていて、大丸百貨店の繁栄は瀧尾神社のご利益のおかげと創業家、下村家の2500両(現在価値で約5億円)もの莫大な寄進より、移築・改築、整備されています。 さほど広くない敷地に関わらず、本殿は、平安京以前からの降雨・止雨、水を司る龍神、高龗神(たかおかみのかみ)を祀っ