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5年ほど前からわたしのなかで「靴尖り男子」が大きな話題になっている。悩みごとが少ないときは、脳内... 5年ほど前からわたしのなかで「靴尖り男子」が大きな話題になっている。悩みごとが少ないときは、脳内の半分以上をこの話題が占めている瞬間があるほどで、靴先は丸ければ丸いほどよいと考えているわたしとしては、靴尖り男子を見るたび、ほんとうに自分はこれでいいのかとその靴先に詰問されているような妄想に陥ってしまうのである。 以前、何かのフォーマルな集いがあり、渋々求めたのが左の靴。そのとき店の中にあった革靴のなかでもっとも靴先がマイルドだったのがこの靴だったが、これでも自分にフィットするものであるとは思えず、よほどのことがない限り、このような靴を履くことはないだろう。右の靴がわたしにとって理想的である。 同じ衣服の中でも、たとえばカーディガンの色が好みでないとか、袖が余ったりなどであれば、まあ安ければいいやと思いつつ着るのだが、靴の先だけは尖らせるわけにいかないという強い信念がある。この信念はどこから
2019/02/05 リンク