ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

男として靴を尖らせるべきかどうかの話

5年ほど前からわたしのなかで「靴尖り男子」が大きな話題になっている。悩みごとが少ないときは、脳内の半分以上をこの話題が占めている瞬間があるほどで、靴先は丸ければ丸いほどよいと考えているわたしとしては、靴尖り男子を見るたび、ほんとうに自分はこれでいいのかとその靴先に詰問されているような妄想に陥ってしまうのである。

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以前、何かのフォーマルな集いがあり、渋々求めたのが左の靴。そのとき店の中にあった革靴のなかでもっとも靴先がマイルドだったのがこの靴だったが、これでも自分にフィットするものであるとは思えず、よほどのことがない限り、このような靴を履くことはないだろう。右の靴がわたしにとって理想的である。
同じ衣服の中でも、たとえばカーディガンの色が好みでないとか、袖が余ったりなどであれば、まあ安ければいいやと思いつつ着るのだが、靴の先だけは尖らせるわけにいかないという強い信念がある。この信念はどこからきてどこに行くのか……。取材班は自らの心の中にあるジャングルに分け入った。
 
わたしのイメージでは、「靴先が尖っている=男性的」であり、それをよい男性性とみなすか、よくない男性性とみなすかはさておき、男性性との密接な関係を見出する人は多いと推測している。靴尖り男子は、尖った靴がフェミニンで素敵だとは思って履いてはいないはずである。尖った靴は、牙や角、より直截にいうならファルスを連想させるし、そう思ってほしい男性が装備するもののはずである。
わたしの、人間と接した数少ない体験から推測すると、マジョリティーが男に求める要素に乏しい男性、たとえば優柔不断であったり、声が小さい男性と接したとき、さすがにこの人の靴先は丸いに決まっていると思って足元に目を遣ると、見事に尖っていて、仲間だと思っていたのに……という気持ちになる。まあ仲間だと思っても飲みに行ったりはしないのだけれども……。
 
また、驚くべきことに、自分より歳上の、つまり社会から男性的な機能を期待される濃度がより薄まっているはずの壮年男性の靴の尖っている率も非常に高く、もしかすると若者より高くなっている可能性もある。彼らは、雄でありたいと願いつつ、雄として求められる要件が足りていないと自覚し、それを補填するために靴を尖らせているのだろうか。それとも、大多数の男性がスカートではなくズボンを履くような感じで、丸い靴を履くという選択肢が意識にのぼることもないくらいになっているのか。あるいは、血液型と性格の関係と同様、関係が深いかのような言説が常識のようになっているものの、実のところまったく関係がなく、ジェンダーとは無関係な要素、たとえば、「とろろ昆布の酸っぱさが苦手な人は靴が尖る傾向にある」など、意外な関連性があったりするのかもしれない。
 
なお、わたしの知る限りにおいて、尖った靴は女性の評判はよろしくない。しかし、少なくともわたしが「靴先が丸いから抱いてほしい」と言われたことは一度もなく、靴先について女性から聞くのは、「恋人が尖った靴を履くのが不満」という、どうでもよい愚痴である。それが原因で別れるわけでもなし、そういう話はキミの家の窓際に置いてあるサボテンにでも聞かせてあげたら、じきに小ぶりでグロテスクな花を咲かせるんじゃないのと思う。女性の靴についてもときどき尖った形状のものを発見することすらある。金髪にしていると変質者に絡まれなくてすむというライフハックが話題になったが、おそらく先が尖っている靴を履いていても似たような効果が得られるのではないかと推測する。変質者がターゲットの靴先までをも観察しているかどうかは定かではないが、「女性=か弱い」というイメージとは正反対にある造形であることはたしかである。「か弱い」の「か」は婉曲の接頭語だけれども、形容詞の前に「か」をつけてマイルドにしたいなら、「か臭い」「か汚い」などの用法が今では使いでがあると思うのに、まったく聞いたことがないのは不思議な話。
 
―などと適当に考察した結果、今世紀に入って、日本の男たちは、靴先で男性性を主張しはじめた……という仮説が浮かんだ。男はアクセサリーが少ない。ブレスレットなどをするのは気恥ずかしいし、かといって会社にアクセサリーをジャラジャラ持っていくわけにもいかず、「靴を尖らせればいいんじゃね?」という結論に至ったのであった。男性性を保証する最後の聖域が、この推定110cc✕2の領域なのかもしれない。
 
ちかごろリストラクチャーされがちな男性性が、戦艦大和のごとく、最後の決戦のために全势力を靴の先に集結させているのであれば、わたしはその波に乗り遅れていることになり、まずい状態なのかもしれない。丸い靴は、風船爆弾の表面を丈夫にするために塗るこんにゃくの効率のよい栽培方法を研究しているような感じかもしれない。ただ、戦艦大和の乗組員か、風船爆弾工場の農夫か、どちらがより自分らしいかというと、圧倒的に後者だろうと思うので、あれはあれで当時は必要とされていたわけだし……と思うことにし、今日のわたしの靴先も丸いのだった。
 
 
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