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月岡芳年画『新形三十六怪撰』より「為朝の武威痘鬼神を退く図」。左上の子供を背負った老婆は、子供の... 月岡芳年画『新形三十六怪撰』より「為朝の武威痘鬼神を退く図」。左上の子供を背負った老婆は、子供の疱瘡神を背負って逃げる老婆の疱瘡神とする解釈と[1]、発疹した子供を背負う老婆とする解釈の2通りがあり、後者の解釈ではその下に描かれている者が疫病神とされる[2]。 明治8年(1875年)の錦絵新聞『日新真事誌』の記事にある疱瘡神の目撃談。鮮斎永濯画。 志水軒朱蘭『疱瘡心得草』より「疱瘡神祭る図」 佐賀県立図書館蔵『種痘之図』疱瘡神の連れている子供に牛痘児が種痘をしようとしている図 疱瘡神(ほうそうがみ、ほうそうしん)は、疱瘡(天然痘)を擬神化した悪神で、疫病神の一種である。 平安時代の『続日本紀』によれば、疱瘡は天平7年(735年)に朝鮮半島の新羅から伝わったとある(天平の疫病大流行)。当時は外交を司る大宰府が九州の筑前国(現・福岡県)筑紫郡に置かれたため、外国人との接触が多いこの地が疱瘡の流
2021/08/05 リンク