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濱谷 浩(はまや ひろし、1915年3月28日 - 1999年3月6日)は、戦前戦後を通じての日本の写真家である。... 濱谷 浩(はまや ひろし、1915年3月28日 - 1999年3月6日)は、戦前戦後を通じての日本の写真家である。主として、報道写真系統の作品、特に、日本(人)を対象とする写真を多く撮影した。 日本人初のハッセルブラッド国際写真賞受賞者[1]。田中雅夫(写真評論家)は兄。デューク・エイセスの槇野義孝は甥。また写真家の桑原甲子雄は隣家の幼なじみで、若き日ともに写真に親しんだ。 東京市下谷区出身[1][2]。関東商業学校(現・関東第一高等学校)在学中から、写真部をつくるなど写真に熱中する。1933年に同校を卒業後、二水実用航空研究所で航空写真家として活動を開始する[3]。同年、敬愛する写真家・渡辺義雄のいたオリエンタル写真工業に入社[3]。1930年代は東京を対象とするモダンな作品を制作していた。1937年、フリーのカメラマンとして独立[3][4][5]。翌年には瀧口修造、兄の田中雅夫らと前衛