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これは日本語では、「国語」というのだ。こういう文脈で日本語とは言わない。 たぶん、谷川俊太郎の「に... これは日本語では、「国語」というのだ。こういう文脈で日本語とは言わない。 たぶん、谷川俊太郎の「にほんご」教科書が出てきたころの現象ではないか。もう20年以上前か。 台湾では、北京官話を「国語」という。 ほんとかどうか知らないが、戦後日本で看護婦の教科に英語が含まれていたのだが、その理由は、米国のカリキュラムをそのままもってきたらしい。そりゃ、米人にとって英語は「国語」でしょ。 で、米人が英語という国語を学ぶ理由は……事務的なものでしょ。 基本的にこうした母国語なりの学習が存在するのは、欧州においてその各国語が常にラテン語の亜流として位置づけられていたことによる。 のわりにラテン語というのはすでに生きた言語ではないので、みな第二言語として習得しなくてはならなかった。プラス、こうして習得される古典ラテン語というのは修辞の固まりなので、なので、学習の必要があった。 これらの背景が現代には、その
2008/12/08 リンク