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※本記事は『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(内山節)の抜粋です。 正統の「神話」とは... ※本記事は『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(内山節)の抜粋です。 正統の「神話」とは異なる神々の世界 ところで人間たちがキツネにだまされていた時代には、だますわけではないが、人々はいまよりもっと多くの生命を山の世界に感じていた。たとえば群馬県上野村の私の家の近くには天狗岩という山がある。いうまでもなくそこは天狗が住んでいた山である。カラス天狗という鳥もいた。頭に烏帽子を被り、小さな下駄をはいて飛んでいくカラスである。 川には河童もいた。もっともそれらの生き物たちを架空のものとして退けてしまうのは簡単である。しかし、次のことは記憶しておいてもよい。 上流域の川を歩いていると河原に大きな岩があって、その上に小さな社の祀られていることがある。日本では自然物自体が神として祈りの対象になることがよくあるが、修験道では霊山といわれた山自体が「御神体」である。大木が神として祀られていること