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違和感

2011年06月08日

この前、テレビのニュースを見ていたら
クールビズについてやっておりました。
そしたら環境省職員とかいう人が出てきて
目立つアロハを着てて「アロハ好きなんですよ」と
笑顔で受け答えしていた。

アロハに文句はつけません。
むしろ「いんじゃない」と思ったくらい。
しかし、肝心なクールビズの話題より気になったのは
その職員の風貌。

失礼!

だけど、すごく大きな人で、
なんつーかポッチャリを通りすぎた人だったんだけど、
またスキンヘッドで、
どう見ても役人というよりヤクザといった風貌だったんすよ。
んで、どうしてもそっちの方に気持ちが向いてしまったんですわ。

クールビズについてのニュースを見ての感想が
「このニュースに出てきた人、ヤクザみたいやな」では
これ、ニュースとして失敗だと思うんですね。
・・・仕方ないんだけど。

伝えたい肝心なことが、
より強烈なキャラクターに負けてしまった典型ですな。

演劇でもそういうことはよくあります。

極端に身長の高い人とか極端に太った人を配役すると、
その風貌がストーリーに何らかの「意味」を与えてしまうんですね。
他の俳優と比べて身長がすごく高い(もしくは低い)、
極端に太っている(もしくは痩せている)といった事が
際立ってしまい、観客に不必要なイメージを与えてしまう。

それは怪我をしていても同じ。
例えば足にギプスをして、痛そうにして出てくれば
観客は「ああ、設定上、この人は怪我をしているんだな。
 この怪我になにか伏線があるのかな」などと
思ってしまうんですね。たいていは。

テレビや映画などカメラを通せばある程度は調整できるんですが、
舞台ではそんなことできません。

だから、そういう点でいくと
ストーリーをひっぱる主役級には、
ストーリーに関係のない、
あまりに特異なキャラクターをもつ俳優は
採用できない、ということになるかと思います。

いや、そうじゃない!と言う方はいらっしゃるかもしれませんが、
私はそうです。

さて、ここまでが前置きです(笑)。

先日、あるドキュメンタリー映画を観ました。
内容としては面白いものだと思ったし、
いろいろ考えさせられる部分もあって
「観て良かった」というのが正直な感想でした。

ただ一つ、ちょっと違和感を感じたのです。

それは、登場人物のほぼ全員が、
すごくおしゃれな服装や髪型の人たちばかりで、
しかもみんな賢そうなしゃべり方をするんですね。
快適そうな、こぎれいな家に住んでるんです。

私にも共通するような身近な問題を取り上げた
ドキュメンタリー映画のはずなのに、
どうも身につまされないわけです。

いや、おそらく私自身がおしゃれで賢かったならば、
違和感を感じなかったんでしょうけど、
残念ながら私はそうではないので、
まるで別世界のことのように感じてしまったんです。

なんて言ったらいいのかなあ。
「外国のドキュメンタリー映画」を観ているような
感じだったような気がします。

そりゃ映画に出るんだから
汚い格好で出たくないという気持ちは分かるし、
日ごろずっと考え続けていることを話すのでしょうから、
普通の人よりはずっと論理的に物事を
話すことができるだろうと思います。

それでも、一観客としては何だか違和感を感じた。

それは「失敗」とまでは言えませんが、
伝えたい肝心なことが、
余計なことでぼやけてしまった例と言えるんじゃないかと
そう考えたわけです。

ちなみにカミさんも一緒に観たんですが、
同じような印象をもったと言っておりました。

・・・つまり2人とも
あまりおしゃれじゃなく、賢くもないということですな。

やたら長い文章を書いたわりに
とりとめのない内容になりました。失礼しました。  

Posted by ねた at 17:13Comments(5)演劇などあれこれ

ノープラン

2011年06月01日

今日は雨降り。
寒いけれど、夜は演劇の稽古。
ひと汗かきに稽古場へ。

今日が稽古日だと分かっていたにも関わらず、
セリフの入りはあまり進んでいないし、
演技のアイデアもノープラン。

ああ、いけないと分かっていても
目の前にある「やんなきゃいけない事」ばかりを優先し、
ちょっと晩酌が入ってしまうと暮らしの疲れが出てしまい、
ついつい惰性で日常を過ごしてしまうのです。

・・・雨降りの日は陰うつになっていけないな。  

Posted by ねた at 15:21Comments(0)公演ネタ