これが民主主義国か?

北海道での反G8デモと、それに対する弾圧(逮捕)について思うことは、「これが民主主義国家か?」ということである。


民主主義は、議会政治だけでなく、民衆のさまざまな形での意思表示によってはじめて(その都度)成立する。その成立を土台として、はじめて法が人々の役に立つものとして定められ、たとえば警察や司法が、それを維持するのだ。
だから、民衆の政治的表明の権利と義務は、実際上は、警察はおろか、法そのものよりも尊い。
それが、民主的な社会のルールというものだ。


ところが現実はどうかというと、反G8のデモとしては決して大規模とはいえない人数のデモに、大量の警察官が動員されて弾圧が強行される。
マスコミは、警察の行動を批判も検証もしない。
世論もおおむね、警察の行動を黙認、ないしは支持している。
要するに、この国では民主主義は踏みにじられている、ということだ。


先の釜ヶ崎の「暴動」(暴動を、是認されるべき民衆の意思表示の方法のひとつだと主張する意図から、あえてこの言葉を使うが)では、警察の腐敗や暴力的な態度・行動が原因となって騒ぎが拡大したとされるが、日本のマスコミも世論も、「暴動」を一方的に揶揄するのみで、警察を批判・検証しようとはしなかった。
一方、中国の貴州では、やはり警察の不正に怒った人々の大規模な意思表示が暴動という形をとり、多数の逮捕者を出しながらも、政府からの一定の譲歩を引き出した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080701-00000120-mai-cn

いったいどちらの社会で、民主主義は生きているか、ということである。


ぼくたちの住むこの国では、「社会の安定」や「平均的市民の生活」の方が、民衆の意思表示の政治参加の権利と義務よりも優先されるのだ。
平均的市民は、自分たちのなかの「民衆」の部分を黙らせ、押し殺すことによって生き延びる。それ以外に生き延び方はないというメッセージを、政府や警察やマスコミや、その他もろもろから受け続けながら。
警察が、テレビカメラの前でも公然と、非暴力のデモへの弾圧を実行するのは、その意味があるからだろう。


報道によれば、ある人は、「違法とされている」「フランス・デモ」を参加者たちに呼びかけたという理由で逮捕されたそうだ。
だがそもそも、「フランス・デモ」を法律で禁じてるということ自体が、すでに民衆の行動に対する弾圧だ。
今回のような歴然たる弾圧的な逮捕は言うに及ばず、そもそも法体系が、国のあり方そのものが、民主主義に反しているのである。
そして、こんなインチキな法体系と整合的であるような民主主義を、ぼくは欲しない。
ぼくは、一人一人が、自分や周囲の人間を、民衆として、生身の人間として解放し、尊重するような民主主義だけを欲する。


2008年現在、世界で露呈しているひとつの逆説は、議会制やマスコミ資本の存在という、「民主主義」の要素と思われてきた制度が、多くの国では、むしろ真の民主主義にとっての弊害となっている、という現実だろう。
たとえば議会制民主主義や、法治国家の制度が、この国でもいつか、真に民衆の手に取り戻される日が来ることを、信じたい。