馬肉の話

きのう、豚肉と牛肉の話を書いたが、少しその続き。


馬肉については、ぼくは数度しか口にしたことがない。おいしいものだと思う。ただ、昔長野県の牧場(馬の牧場ではありません)で働いていた頃、新鮮な馬刺しをたくさん食べる機会があったのだが、食あたりしたのか数日発熱と腹痛でひどく苦しんだことがあった。その時以来、あまり食べ過ぎると体に合わないのかなと思い、食べるのに慎重になった。
いまでは馬を育てるというと北海道が有名だが、明治の初期までは信州が有名な馬産地だったらしい。これは、戦国時代の武田騎馬軍団の名残であろうかと思う。実際、甲州から信州にかけての地域で、特に馬の生産が盛んであったようだ。


人類史を通して、馬は軍事と特権的に結びついた動物だった。済州島が有名な馬産地になったのも、元(モンゴル)があの土地を軍馬の生産拠点としたからだった。雨の少ない火山灰地という条件が、牧草の発育に適していたらしい。そうかんがえると、いま馬の生産が盛んな北海道の南部や、信州の浅間山や八ヶ岳の麓などにも、似たような気候風土の条件がありそうだ。やはり、そういうことが大きいわけか。
いや、そういう話ではなかった。とにかく、馬の肉は日本ではいくらか食べられているのだが、お隣の韓国では食べる習慣がないらしい。馬刺しの話をしたら、韓国人の友だちに驚いた顔をされた記憶がある。こういうのは、どういうところで分かれるのか。
言語学者の鈴木幸夫氏の本によると、イギリスでは馬はまったく食べないが、フランスでは馬肉専門の肉屋があるほどよく食べられているそうだ。イギリス人にとっては、馬は特別な精神的な位置づけのある動物で、その肉を食べるということは、タブーに近いらしい。
それで思い出すのは、イギリスの作家D・H・ロレンスが『現代人は愛しうるか』という書物のなかでつづった神秘的な「馬賛美」の文章である。

馬、つねに馬である!馬は太初の諸民族のこころを、殊に地中海沿岸の住民のこころをいかに強く支配していたことか!馬をもつものは貴族である。いまでも吾々の暗い魂の奥深く、はるか底の方に馬が跳躍しているのだ。それこそは支配的な象徴である。馬は吾々に支配権を附与する。(中略)
ここ五十年間、人間はその馬を失った。その結果、人間も滅んでしまった。いまや人は生命を失い、力を感じない(後略)           福田恆存訳 中公文庫版p102以下

このロレンスの文章は現代文明に対する批判として書かれているわけだが、馬が生命の象徴であるという神秘主義的なまでのとらえ方は、正直ぼくには理解しがたいものがある。
フロイトも、馬の比喩を好んで用いているが、ロレンスにしてもフロイトにしても、馬は現代文明が失った生命の力の象徴であると同時に、男性的なもの、闘争と支配の象徴としてとらえられていると思う。そのことは、馬が人類の長い歴史の中で、軍事や戦争と深く結びついた役割を負わされてきたことと無縁ではないだろう。いわゆる「大戦間期」の思想家や文学者の思考の特徴を、ここには見ることができるのかもしれない。


それにしても、ある動物の肉を食べるか食べないか、そしてどの動物の肉を食べることがタブーとされるかが、文化によって分かれていることは、不思議といえば不思議な話だ。
食のタブーと文化との関係は、突き詰めるとやっぱりカニバリズムまでいくのか。
フランスもイギリスもキリスト教だから、馬を食べる食べないは、狭義の宗教とはあまり関係ないんだろう。しかし、生活や歴史の面ではっきりした理由があるようにも思えないのだ(それとも、イギリスのもっと古い層の、「ケルト的」とかいう文化のレベルが関係しているのだろうか。そのへんははっきり分からない。)。
日本人が鯨を食べることや、韓国人が犬を食べることなども、それ以外の文化圏の人から見ると、理解しがたい場合があろう。
だが、自分を普遍的であると主張したがる近代文明というものが、世界中に蔓延する以前には、どこの人もよその食習慣に対して、もう少し寛容であったのではないかとおもう。
武田泰淳が『ひかりごけ』で書いたように、「普遍的な文化」という名の不寛容こそが、もっとも残虐な破壊をもたらすものなのではないか。


隣家の人が何を食ってようといいじゃないか。