考察

『中村のイヤギ』・『空っ風 千里開発・RCの陰謀』を見て

14日まで大阪のシネ・ヌーヴォで行われていた上映企画『〜彷徨する魂を追う〜 NDU+NDS』。 そのうち数本の作品を見ることが出来たのだが、ここではそのなかから『中村のイヤギ』(撮影・編集・監督 張領太 2008)と、『空っ風 千里開発・RCの陰謀』(監…

介入について、その他(末尾追記・訂正)

文意のよく読み取れない箇所がありましたが、とくに重要と思われる部分についてだけ応答します。 なお、lmnopqrstuさんに対する二人称で書きます。http://d.hatena.ne.jp/lmnopqrstu/20090402/1238677714

あの言葉の意味

先にTBのあった、ぼくへの批判記事のなかで、lmnopqrstuさんは、このように書いた。 http://d.hatena.ne.jp/lmnopqrstu/20090402/1238677714

反論・左翼と倫理性

lmnopqrstuさんから、明快な整理と批判の文章が寄せられましたので、これに答えて反論します。 http://d.hatena.ne.jp/lmnopqrstu/20090329/1238350534

退避について

このところ、高橋哲哉の旧著『記憶のエチカ』(岩波書店)を読んでいるのだが、アーレントにおける「記憶」の問題を批判したその第2章「《闇の奥》の記憶」を読んでいて、以前このブログにアーレントについて書いた感想を、修正しておきたいという気持ちにな…

戦争における自由と倫理

「南京大虐殺」をめぐる番組について、きのう書いたことだが、説明の不十分なところがあったかも知れないので、少し補足する。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20080407/p2

私は何を守りたいのか

『スピノザと表現の問題』の、先日引用した以下の箇所をめぐって少し考えてみる。

生の二つの感じ方とその混同

先日書いたことについて、簡単にまとめてみる。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20071126/p1 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20071126/p2

紅葉に思う(笑)

関西は本格的な紅葉の時期をむかえていて、近所の公園の木々も色づいた葉がすでに散り始めている。 都市部の公園や街路樹の樹木というのは、大きくなりすぎないように植えられる前から根っこが短く作られているそうである。つまり、人間の都合にあわせて加工…

付けたし

下の文章に付け足してメモ。

愚かな話

市場経済の拡大が無限に続くとか、生産性が永久に向上し続けるとか、科学技術の進歩の可能性は無限大だとか、その手の話をよく聞く。 だから、たとえその拡大や進歩の過程から零れ落ちる人があっても、最終的には富のパイの増大がそれによってもたらされるの…

「フリーター≒ニート≒ホームレス」を読む・その2

前回の続きです。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070727/p1

生田武志「フリーター≒ニート≒ホームレス」を読む・その1

雑誌『フリーターズフリー』所収の生田武志さんの論文を、自分なりの視点で要約・紹介しながら考えていこうという試みです。はじめてみたら、どうも長くなりそうなので、途中までで切って一度アップすることにします。

自立について

雑誌『フリーターズフリー』に掲載された杉田俊介さんの「無能力批評」を読んでの感想を書いたぼくの文章に、杉田さんがわざわざブログで応答を書いてくださっている。 それを読んで思ったことを少し書いておきたい。http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/2…

「自分で語ってみる」ことをめぐって

『Freezing Point』さんの、こちらのエントリーは、ぼくにはたいへん重要なことが書かれていると思われたので、紹介しながら、自分の考えも書いてみたい。 「本人が、自分で語ってみる」 もちろん、ueyamakzkさんが書かれている趣旨とは大きくずれてしまうと…

ぼくが感じてきたこと、そして

『親を介護するということ』と題した先日のエントリーのコメント欄に、tu-taさんが寄せてくださったコメントへのレスとして、「困難な現実のなかに身を置いている自分」という立ち位置から考えること、発言することが大事だと思うが、ぼくにはそういう自分の…

サバルタン、もしくは複数的な私

mojimojiさんがsivadさんの記事に応答された、こちらのエントリー、そしてお二人の対話を、たいへん興味深く読ませていただいた。 とくに、「想像力」のある人とない人がいるのでは、というsivadさんのお話、そして「ない人」を組み込むような社会の倫理的な…

救うことと「能力」の問題

こちらのエントリーでは、「直接的な支援」とか「間接的な支援」とか、やや曖昧なことを書いた。 そして、自分には前者は難しいが、後者の方法で何か有効にできることはないか探っていきたい、というふうなことを書いたのである。 そこを出発点として、その…

基本的ないくつかのこと

あまり複雑なことを考えられないので、以下で基本的なこと、大まかなことだけを確認しておきたい。 もちろん他にもこうしたことを述べている人*1はいるのだが、ここではできるだけ自分の頭で考えてまとめてみる。 *1:立岩真也氏など。もちろん、はるかに厳密…

どうもうまくまとめられない私

昨日のエントリーだが、どうもうまくまとめることが出来なかったので、補足しながら改めて考えてみる。 『何も出来ないわけではない私』

先のエントリーへの補足・実効性について

上に「直接的に、明白に実効性のあること」と言ったが、この二つは、必ずしも両立しない。 これは、日々「直接的に」現場でそのような活動に取り組んでいる方の多くが、感じ悩んでおられることではないかと思う。あのエントリーにも書いたように、一人の地道…

何も出来ないわけではない私

はじめに、既にお読みになった方も多いと思うが、生田武志さんのホームページで、先ごろ公表された厚生労働省による「ホームレスの実態に関する全国調査報告書」のことが言及されていた。 生田さんたち支援者の声に取材した産経新聞の記事の転載だが、読んで…

働くことと生きること

先日のエントリーで書いた『カネと暴力の系譜学』のはじめの部分に、次のような一節がある。 ずっと気になっていることなので、それについて少し整理して考えてみる。 では、カネを手に入れるためにはどのような方法があるだろうか。 原理的にいえば四つの方…

長居での出来事についてまた考える

長居公園の行政代執行から、月曜でちょうど一週間がすぎました。 この間、それに関連した記事に少なからぬTBをいただいたり、ブログで言及していただいたりしたのですが、ここではそのなかからriruhiさんの記事の内容に答える形で、少し考えていることを書い…

軍隊化する日常と私

今日読んだ、長居での出来事についての文章のなかから、とりわけ印象深かったものをふたつ紹介し、自分の考えたことも書き添えます。

『カンバセイション・ピース』補遺

保坂和志の小説『カンバセイション・ピース』に関することの続き。 この小説では、人間と、家屋という人間や動物たちが暮らす空間(環境)との、分離できないような深い結びつきが書かれている。それは、人間が普段暮らしているなかで経験する、生き物としての…

デリダの論文「Fors」のこと

最近、この本が刊行されているのを知った。 狼男の言語標本―埋葬語法の精神分析/付・デリダ序文“Fors” (叢書・ウニベルシタス)作者: ニコラアブラハム,マリアトローク,Nicolas Abraham,Maria Torok,港道隆,前田悠希,森茂起,宮川貴美子出版社/メーカー: 法政…

怨恨の政治学

きのうのエントリーへの補足。 きのう書いたこととは逆の考え方になると思うが。 怒りと憎しみとが完全に分離できないことを前提として考えると、「憎しみ」(ルサンチマン)という、組織されてない非理性的な要素を、「怒り」の形成のために切捨てることは、…

「原初的」ということ

はじめに、前回のエントリーのコメント欄で、「一個人が地球全体のことに責任は持てない」というふうに書いた。たしかにそう思うのだが、同時に何かひとつのことぐらいには責任を持ってもいい、むしろ持つべきだろうとも思う。 これは「関心を持つ」というこ…

倫理について

前々回のエントリーに、こう書いた。http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20060329/p1 それはともかく、もっと根本的な意味で、「他者を見殺しにすること」がぼくたちが生きることの基本的なあり方なのではないかという感じが、ぼくにはある。 たぶん、ここまでは…