2025-03-04

イノセンスというのは押井守の一つのスタイルの極地

そういう意味では、村上春樹スプートニクの恋人と同種の作品と言える。

そういう意味では、富野由悠季機動戦士Vガンダムと同種の作品と言える。

そういう意味では、宮崎駿千と千尋の神隠しと同種の作品と言える。

ある作家ひとつスタイルを築き上げ、それが評価される。

その作家はそのひとつスタイルを用いて、多数の作品を作り上げていく。

そうしているうちに、好むと好まざるとに関わらず、そのひとつスタイルの極地に至る作品を作り上げることがある。

あるいは、そうしているうちに、意識的無意識的には関わらず、その一つのスタイルの極地に至る作品を作り上げることがある。

そのひとつスタイルの極地に達すると、その作家は、ひとつのアガリを迎える。

その作家は、次の作品からは、それまでのスタイルと同じものを作れなくなるor作らなくなる。

村上春樹スプートニクの恋人

押井守イノセンス

最早、セルフパロディーか?と言いたくなるほどに

村上春樹的要素、押井守的要素が詰め込まれ作品だ。

ただ、ここでいう村上春樹的、押井守的というのは、その当時の、という但し書きがつく。

現在の我々は、それぞれの作家が当時持っていたスタイルから脱却した姿をすでに知っているので

現在の我々が抱く、押井守的、村上春樹的は、その当時のものとは大きく違っていて当たり前だ。

それはともかく、当時そのように凝縮されたそれぞれの作家性を生み出した二人は、

その次作ではそれまでの作品とは、違ったものを作り上げていくようになる。

富野由悠季Vガンダムは、富野由悠季という作家ひとつ極致作品であったといえる。

これ以後、富野由悠季作品はそれまでのスタイルとは変化を迎えることになる。

宮崎駿千と千尋の神隠しもそういう意味で同種の作品だ。

宮崎駿という作家が作り出した数々の映画ひとつ極致作品だ。

彼の以後の作品は、それまでの作品の発展系とは異なる道を歩む。

ポニョなどはここまでの説明をハッキリとわかりやすくしてくれる好例だ。

それまで追求してきた宮崎ジブリアニメ的なものから袂を分かつ作品となっている。

押井守イノセンスのあとは、劇場版パトレイバーから発展していった系譜とは違う道へと歩むこととなった。

スカイ・クロラなども、ポニョ同様にかなりハッキリ違っているのだが、そうは感じない人もいるのは知っている。

というか、そもそもここまでの話が何のことかわからない一欠片も共感できない人もたくさんいることだろう。

  • 何言ってんの? スカイ・クロラこそ、押井守の原作者イタコ正統派で、 イノセンスはその前のミニパト、その後のパトレイバーTNGと変わらないスタイルで、言いたいことを表現するため...

  • 押井守ファン装ってるのに、ガルム戦記を至高としないのはニワカ

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