「有事には役に立たない」だとか
「土壇場では度胸も知恵もない」だとか
そもそも平時から、いつだって、あいつらは役になんか立っていないのだ。
社会の平穏と余剰を食っているうちはいくらでも霞の奥に隠れられるが
一時的にでもそういうものがぶっ飛んだときには実体が丸出しになる。
別に大災害が起きずとも
実務能力を問われる場面に出て行ってしまったところを見たとき、
「あれ?なんかただの馬鹿じゃないの?」
「普通の人と変わらないし、不慣れなぶんただの無能じゃないの?」
と察知したことのある人も居るはずだ。
若い世代の思想家の親分は
だから子分がそれすら理解せずにモノポリーとか言ってりゃキレたくなるのは人情だ。
思想家達の立たされている今の状況は、遅かれ早かれ有り得た未来でしかない。
これは往時の日本のプロレスラーが、ガチ競技である総合格闘技に直面した時とよく似た状況だ。
だいたい、ファンとの距離が縮まったり、消費者の持つ情報が増えたりすれば、
虚像は見破られて熱は冷めてしまう。
ネットで四六時中所感や行動を報告して関心を引かなければならず、
また観衆にそれをまとめられちゃったりする時代に、
従来通りの思想ごっこ続けようって方が無理なのだ。
そこでまだなんとか活路を探して「我々はガチ」と言い張り続けるのが親分の道で
あっさりと「いやいや、ガチのリングで俺達に何か求めないでよw」と表明したのが子分Uの道。
後者も日常に戻ればもちろん「俺は最強だ!」「誰でもかかって来いぶっ殺してやるよ!」と吼えるけれども
それがどういう意味なのか、どう消費してほしいのか、を暗黙かつ雄弁に示したのがモノポリーではなかったか。
一直線の衰亡を脱する可能性があるのは子分Uの道だけだ。
今回メタ目配せとしてスマートな所作を見せることが出来たのは彼だけなのだが
「別の子分はチャリティーやると言えたのにおまえは!」なんてズレたこと言ってる。
弁舌の徒がチャリティーやりだしてどうすんねんと。
それは新日やノアのプロレスラーが総合のセコい大会のエキジビジョンに参戦するような迷走でしかない。
有事に臨んで日頃やってきたことと連続していない別の商売をやり始めちゃうのは
それまでやってきたことがお遊びだったと認めるに等しいうえ、
なるほど 今後のあずまんの見方がわかった気がする 震災前から賞味期限が切れかけてたの含め
うむ。そのとおり。 哲学に至っては恒久的に役に立たないので切り捨てて構わないだろう。 今ある学部は全部潰さないとのちのち大変なことになるだろう。
しかし、役に立たないことが不要であるか否かを判断するために哲学は必要だろう。 一見自明のように思えるが、必ずしもそれは自明ではない。
哲学者はkamiproの変態座談会だったのか なるほど言いえて妙かもしれんな
俺もこんなこと思ってたわー
哲学もプロレスもミーハーだから読んでみたけど、プロレスラーのUがわからなくて、自分の知識不足が残念だった。 プロレスラーで思いつくのは、馬場、猪木、長州、政治家になった...
個人名じゃなくてU系って意味だろ
いや Uはプロレスラーじゃなくて思想家のイニシャルだろ
おおぅ。そうか、そう読めばいいのか。すっきりした。
この批判は痛くも痒くもない。なぜなら、ここで批判されている事は彼らの副業に過ぎないから。どうでも良い事なんだよ。