「木内デパート」食品売場廃止と「一乃穂」誕生秘話

2022年10月30日に「ABS秋田放送」で放送された、同局製作のミニドラマのなかで、秋田市広小路の「木内」がデパートとして機能していた時代の映像が流れていた。同局所蔵の映像で撮影は80年代と推定。

番組は2022年9月25日からスタートした、葵うたの 主演の「ぼなぺてぃ。召し上がれ秋田のお菓子たち!」。

県内のお菓子をドラマ仕立てで紹介する番組で「木内」店内の映像が流れる第5回目は「一乃穂」(かおる堂グループ) の “しとぎ豆がき” が登場。さて「木内」と「一乃穂」の関係とは?

第5回分は2022年11月30日まで TVer などで無料で視聴可能。配信サイトへのリンクは文末に掲載している。

ぼなぺてぃ。
▲田村誉主在(ABS局アナ)バリトン伊藤(ローカルタレント)葵うたの(タレント)

2019年に入局した田村誉主在(よしゅあ)。その名は旧約聖書の登場人物・ヨシュアから命名されたのだろう。経歴もまた変わっている。京都市出身、フュチュールボクシングジム所属の元プロボクサー。戦績1戦1勝。2018年11月に行われたデビュー戦の動画がYouTubeに上がっている。

にぎわう木内デパートと事業縮小の衝撃

木内デパート
▲「木内」1階をエスカレータ上から撮影

木内デパート
▲ショーケースのクリスマスケーキと「かおる堂」藤井社長

かつて「かおる堂」の洋菓子は「ポンドール」というブランド名で販売されていた。名前の由来や大町の「秋田名店街」にあった洋菓子店「ポンドール」については別の機会に。

番組のサブタイトルにある「ピンチはチャンス!?」のピンチとは「木内」1階にあった食品売場の廃止のこと。

菓子舗「かおる堂」藤井社長の証言によれば「木内」のテナントは、わずか2坪のスペースながら、同社売上げ全体の3割を占めていた。

以下に引用した「全国菓子工業組合連合会」サイトの記事には「木内」だけで「年間6千万円を売上げ」ていたと、具体的な数字を上げている。

‥‥前略‥‥
駅から仲小路への往来は賑やかで、移転してしまった日本赤十字病院が多くの人を集めていました。現在は、色々な事情から106万人になってしまいました。病院の近くには、秋田県を代表する木内百貨店があり、出店していた当社の2坪ばかりの売店は、年間6,000万円を売上げ、坪効率は一番でした。しかし、食料品売り場が突然廃止になり、売上げが全て消えてしまう事態になったのです。

これまでもこれからも | 秋田県菓子店 | 菓子業界情報

突然かつ一方的な3階フロアの閉鎖に次いで行われた、食品売場の廃止発表は、まさに寝耳に水。テナントおよび商品納入企業にとっては死活問題であり、顧客にも衝撃を以て受け止められた。

全盛期よりは客足が遠のいたとはいえ、まだ「木内」というブランドに絶対的な信頼を寄せる顧客が多かった時代。特に「木内」の包装紙に包まれた贈答品の需要が高く、中元・歳暮品もよく売れていた。間近に「秋田赤十字病院」があったため、見舞い品を購入したり、来院ついでに立ち寄る客も少なくはなかった。食品売場が廃止された前年、1991(平成3)年度の年間売上高は約100億円。

木内デパート
â–²1972

ドイツソーセージが高名な「嶋田ハム 」(大曲) の商品は当初、秋田市内では「木内」の独占販売だったらしい。「瀬田川果物店」の生ジュース・コーナー や、東京の銘菓なども取り揃えた食品売場は好調を維持。業者にとっても「木内」のテナントに入ることがステータスとなっていたが、超ワンマンと噂されていた当時のH社長の独断で廃止が決まる。

1992(平成4)年春、大食堂と玩具・文具・食器・家電製品などの売場があった3階を閉鎖し「東北百貨店協会」に脱退届を提出。3階テナントのなかでも人気があった、センスの良い和食器を販売する「京都 たち吉」の「木内」での売上げは当時、年間8千万円ほどだったという。

同1992(平成4)年秋、食品売場を廃止し衣料品売場に転換。「木内」はこの年、売り場面積を半分に縮小。木内トモ社長が苦心を重ねて築き上げてきた、多彩な商品を販売するデパート(百貨店)としての歴史に幕を下ろす。

「秋田商工会議所」および「広小路商店街振興組合」を脱退し、毎年実施していた新入社員の募集も停止。マスコミの取材も拒絶し、H社長は閉鎖性を強めてゆく。当時「木内」に勤めていた古参社員たちは、先代社長の時代とはまったく違う会社に変わり果ててしまったと嘆いていた。

H社長(昭和3年生 没年不詳)は、小さな雑貨店「木内商店」を東北有数の百貨店までに発展させたことで知られる、木内トモ社長の孫にあたる。後継者と目されていたトモ社長の長男が早世したことでH氏が後継者となった。

その後「木内」は2階も閉鎖、1階フロアのみで衣料・洋品店を販売していたが、コロナ禍の影響で2020年春から休業。2022年11月現在も「当面の間 臨時休業させていただきます」との張り紙があるシャッターを降ろしたままだ。

木内トモ社長のこと、生ジュースコーナーや屋上遊園地など「木内」関連過去記事へのリンクは文末に掲載。

米菓ブランド「一乃穂」誕生

「かおる堂」に話をもどすと、大幅な減益のピンチに直面した同社が活路を開くために立ち上げたのが、秋田米を使った高級米菓ブランド「一乃穂」。「木内」の食品売場の廃止が無かったら「一乃穂」は無く、考えもつかなかったと藤井社長は語る。

食品売場が廃止された翌年、1993(平成5)年4月、秋田駅前に竣工して間もない「秋田朝日生命丸島ビル」1階に「一乃穂」オープン。しとぎ餅、しとぎ豆がき、しとぎサブレなどの商品が、主に贈答品として好評を得、売上げを伸ばす。

秋田の米菓と言えば「秋田いなふく米菓」が有名だが「かおる堂」も同社の創業に関わっている。「一乃穂」のかき餅もここで試作されたのかも。1966(昭和41)年「かおる堂」「榮太楼」「勝月」など、市内の菓子補8社が出資する「秋田いなふく米菓協同組合」を設立。誘致企業「秋田クリスマス電球」団地内の遊休地で操業を開始した。代表取締役社長は出資者内での交代制となっている。

一乃穂
▲左手の秋田朝日生命丸島ビル1階に一乃穂

秋田駅前仲小路 アトリオン交差点角、仲小路のシンボルツリー・ヒマラヤスギのもとに店舗を構える「一乃穂」本店。

suede

年末の木内は凄かった。売場に辿りつくのも一苦労だったように覚えています。
うちのおふくろも、贈答用に銀のブリキ缶に入った一乃穂の豆がきよく買ってました。
一個食べると、止まらなくなった記憶ですw。

2022.11.16 Wed 07:02
Honey

子供の頃の広小路は木内デパートの通り向かいに秋田水族館があり、秋田プラザ、協同社など夢に溢れた場所でした。
都内に嫁いで40年余、今もしとぎ豆がきは調味料を買うために行く交通会館の秋田ふるさとプラザで見かける度に買っています。

2022.11.20 Sun 12:57