1. ひだりみぎ茅の輪の軌跡 [∞] 無限大

    六月三十日は「夏越の祓」(なごしのはらえ)。千秋公園二の丸に鎮座する弥高神社でも、二十日頃から境内に「茅の輪」(ちのわ)がつくられ、三十日には「大祓式」(おおはらえのしき)がとりおこなわれた。弥高神社六月と十二月の晦日(つごもり)に行われる「大祓」のうち、六月に行われるのが「夏越の祓」。年二回の「大祓」の日、平安朝の頃には、京都朱雀門前の広場で、親王以下百官男女をあつめ、国家・万民の罪穢(つみけが...

  2. 梅雨入りに落ちる花の名栗の花

    08.06.28梅雨の頃、黄白色でコップを洗うブラシのような穂状の花から、あの青臭い匂いを放つ栗の花。この穂状の花は雄花で、その穂の下に小さく咲き、やがて栗のイガに成長する雌花はまだ目立たない。道ばたに重なって落ちた栗の花は、今にも動きだしそうな大きな毛虫のようで気味が悪い。夜道を歩いていて、足下にこいつが落ちていると、一瞬ドキッとする。「栗花落」という珍しい名字が兵庫県あたりに分布している。「栗花落」と...

  3. 川尻の鹿嶋祭り

    秋田市祭事記・初夏(三)秋田市川尻地区の鹿嶋祭りは旧暦の五月十五日が祭日だったが、現在は三町内で六月の第三日曜日に行われている。鹿嶋船 毘沙門町左が飾り付け前、木組みに竹を編んだ簾、ガツギ(マコモ)で船をつくり、赤布を結んだ「下がり」をつけた舳先に、弁慶が碇をかかげる人形を置き、各家庭から持ち寄った鹿嶋人形を乗せる。船尾(見返し)に「へのへのもへじ」の顔をした案山子。船尾には熊笹の竹で編んだ「めっ...

  4. 初夏の風物詩・鹿嶋流し

    秋田市祭事記・初夏(二)勝平得之『鹿嶋流し』昭和十三年六月から七月はじめにかけて、「鹿嶋流し」、または「鹿嶋送り」と呼ばれる祭りが、秋田県内の各地で行われる。●新屋の鹿嶋祭り秋田市新屋地区に伝わる「鹿嶋祭り」はもともと、田植えを終えて田の神を送る「さなぶり」の時期に行われた、五穀豊穣と無病息災を願う行事だったというが、のちに月遅れの「端午の節句」六月五日となり、近年は参加しやすいように、六月の第二...

  5. 諏訪愛宕神社の端午祭

    秋田市祭事記・初夏(一)旧暦(陰暦)の五月、田植えから「さなぶり」の時期に行われる秋田の祭りは、人為のおよばない自然現象に左右される農耕に関わる五穀豊穣祈願と、季節の変わり目で病気・災厄が多かったこの時期に行った厄祓いを起源としたものが多い。諏訪愛宕神社の祭礼もそのひとつ。秋田市保戸野すわ町(旧町名・諏訪町)に鎮座する、その町名の由来となった諏訪愛宕神社。慶長十五年(1610)、佐竹義宣公が武家の守護...

  6. 夏至り黄昏時に咲く花よ

    ようやく梅雨入りし紫陽花の花が色づきはじめたとはいえ、空には入道雲がわきあがり、気温30度ちかくまで上昇する夏日となった今日は夏至。音合せ始まる夏至の広場かな 坂本宮尾昼の長い午後、夕刻からはじまる野外コンサートを前に、音合わせをする楽器の音が遠くから、かすかに聞こえてくる、そんな夏至のゆったりとした光景を詠んだ俳句。サンパティオ大町の中庭で開かれるトワイライトリレーコンサートも今日が初日。チアーズ...

  7. 今年もリレーコンサートの季節

    もう年の半ばも過ぎて、ようやく梅雨入りしたこの時期は、土曜日の黄昏時「サンパティオ大町」中庭で開かれる、トワイライトリレーコンサートの季節。初夏から晩夏にかけて、黄昏時のよく似合う心地よい中庭で、ひとときの音楽の贈り物に心うるおす、風情ある夏の風物詩。リレーコンサートの初日は梅雨のまっただ中にあたるが、ここ数年間、好天に恵まれている。オープニングの出演は三年連続だったと思う、アコースティックユニッ...

  8. 進む再建・秋田八幡神社

    08.06平成十七年一月、放火のために焼失した、千秋公園本丸の秋田八幡神社の再建も進み、現在工事中の拝殿の後ろで、先に着工していた本殿が白木もまぶしい外観をみせ、あとは拝殿の完工を待つのみとなった。_________関連記事 八幡秋田神社焼失す 再建の槌音・ 八幡秋田神社 千秋公園に謎の銅像・明治三十四年...

  9. 旧暦五月は「サの神」の月

    旧暦(陰暦)でいえば今は五月。「さつき」とも読む「五月」は、「早苗」(さなえ) 、「早乙女」(さをとめ) 、「五月雨」(さみだれ) 、「早苗饗」(さなぶり) 「笹巻き」(ささまき) など、稲作に関連した「サ」の「音霊・おとたま」ではじまる言葉・季語に満ちあふれている。「サ」とは神霊を意味し、特に田の神(稲穂の穀霊)を指す言葉。山の神は田植え時期になると里に降りて田の神となる。田の神(サの神)を迎え「早苗」(さなえ...

  10. 戦争と石油危機と厚生車

    ●戦争が生んだ厚生車の時代昭和四十年代初頭まで、人力車に似た車体に自転車を結合させた「厚生車」、いわゆる「輪タク」(自転車タクシー)が街を走り、秋田駅前で客待ちをする光景がみられた。秋田駅前 昭和30年頃「厚生車」のような人力三輪自転車が実用化され、全国的に普及しはじめるのは昭和十五年頃からである。昭和十二年の日中戦争勃発後、自動車に対するガソリン消費規制は徐々に厳しさを増し、交通事業者は木炭など代...

  11. アオサギは青くない・千秋公園

    千秋公園二の丸・湖月池にて鶴に似て優美なアオサギが千秋公園の水辺に姿を見せるようになったのは五年ほど前からだろうか。旧雄物川河口の向浜コロニーから飛来すると想像されるアオサギはいつも単独である。千秋公園二の丸・湖月池にて「アオサギ・青鷺」という名前なのに、どう見ても青くはい。『大辞林』で「青」を引くと項目のなかに〔古くは、白と黒との中間の色を広くさし、「青馬」「青雲」など灰色をも意味した〕とある。...