1. 便所煙突くるくると廻れ

    ●便所煙突のある風景汲み取り便所が主流だった昭和の時代、あちらこちらの便槽から、便所煙突が空に向かって立ち上がる光景があった。その先端に付けられた風車が、風を受けて回転することにより、悪臭を空中に排出する仕組み。いわゆるベンチレーターの一種で、業界ではこの装置を「臭突」と呼ぶのだそうだ。風が吹かなければ換気能力がいちじるしく低下するため、後に電動式の換気扇を仕込んだものが登場する。今もわずかに残る...

  2. 秋田劇場に「メトロポリス」がやってきた・活動写真

    秋田劇場・秋田市柳町昭和四年(1929)四月、松竹座で日本初上映された、SF映画黎明期の傑作「メトロポリス」が、同年の九月、秋田市柳町の秋田劇場に於て封切られ、弁士(べんし・無声映画の解説者)として、かの高名な泉天嶺が来秋し名調子を聞かせた。新聞広告 昭和四年「新秋を彩る世界的大名画上映百年後の世界」など横書きの文章が、戦前の慣行だった右横書き表記なのに対して、カタカナの「メトロポリス」だけが珍しく左横...

  3. 久保田城の裏門を訪ねる

    千秋公園の二の丸、胡月池を望む鯉茶屋前から本丸に至る石段を、裏御門坂、略して裏門坂という。かつては石段を登り、さらに左折して登りきった場所に久保田城の裏門が存在し、今は礎石だけが残っている。千秋公園 裏門跡千秋公園から消えた裏門は、秋田市寺町の曹洞宗寺院・鱗勝院の山門として生まれ変わった。鱗勝院 山門明治十九年四月三十日、秋田町を大火(通称・俵屋火事)が襲い、外町を中心とした約三千五百戸が全焼、寺...

  4. 自転車百哩大競走・大島商会主催

    秋田市下肴町に大島商会が創業して間もない明治三十五年(1902)の秋、大嶋勘六氏の企画により、自転車の普及宣伝を兼ねた「自転車百哩大競走」なるイベントが開催された。新聞広告 明治三十五年秋田市を早朝に出発、本荘、浅舞、横手、六郷、大曲を経て秋田市に帰着する、延長百二十哩(マイル)約193.1 kmの走行コース。賞品として、一着・金側懐中時計、二着・銀側懐中時計、三着・秋田八丈一反、四着から十着・木綿反物一反が...

  5. 県民会館の土手から広小路を望む・大正期

    秋田地裁付近・大正期の絵葉書より県民会館の土手から、広小路を見下ろす。西根小屋町の広小路に面した角に建つのは、赤レンガ建築の秋田地方裁判所。その右隣に白壁の木内雑貨店、さらに西側に秋田県庁および議事堂など関連施設が並ぶ。木内と後方に県庁昭和四十三年(1968)、秋田地裁は山王に移転、その跡地に昭和四十五年(1970)、秋田第一ホテル、現在の秋田キャッスルホテルが竣工する。2007.10_________関連記事1973 県民...

  6. 日曜朝の定番ソング・服地はミユキ

    ミユキ ミユキ ミーユキ ミユキ 服地はミユキミユキ ミユキ ミーユキ ミユキ 服地はミユキ紳士だったら知っている 服地はミユキと知っているミユキ ミユキテックス ミユキ ファンシィテックスミユキ ミユキ 服地はミユキ随一の民放局だったABS秋田放送では、日曜日の朝、9:30になるとこのCMソングと、大草原に遊ぶ羊の群れのモノクロ映像が流れた。番組名は「ミユキ野球教室」、提供は御幸毛織(現・御幸ホールディ...

  7. 県民会館の土手から広小路を望む・1971

    1971広小路が歩行者天国になった休日、県民会館の土手に上り、広小路を見下ろす。貸ボートが遊ぶ穴門堀の向こう、左から、「長崎屋」「盛田カバン」「イワマ靴店」「モードササキ」「オノ時計店(工事中)」「ヒラノビル」、道をはさんで「秋田プラザ・第一ホテル」。「長崎屋」屋上のネオンサインがアンバランスで、今にも崩れ落ちそうだ。「ヒラノビル」の裏には、「桃園ビル(飲食ビル)」「小澤歯科」とつづき、「小澤歯科」の...

  8. 東海林太郎・台所町の生家

    東海林太郎・明治31年-昭和47年明治三十一年(1898)十二月十一日、秋田市台所町二番地に生まれ、保戸野尋常小学校、秋田中学校(現・秋田高校)、早稲田大学を経て、大正十一年、満鉄(南満州鉄道株式会社)に入社。七年間勤務の後、音楽への夢捨てきれず帰国して声楽を学び、昭和八年(1933)にレコードデビュー。約四十年の歌手生活で録音した曲は約千三百曲におよぶ。東海林太郎の好んで使った「一唱民楽」(一つの歌で民を楽...