DF115形液体変速機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 14:30 UTC 版)
「国鉄キハ44500形気動車」の記事における「DF115形液体変速機」の解説
国鉄と振興造機が液体式変速機開発を進めていた時期、鉄道車両、エンジンメーカーである新潟鉄工所も液体式変速機の開発を計画、系列会社として新潟コンバーター(現・日立ニコトランスミッション)を1952年12月に新潟県加茂市に設立した。 新潟コンバーターはアメリカの変速機メーカーでリスホルム・スミス系の液体変速機を実用化していたツイン・ディスク・クラッチ(Twin Disc Clutch Co. 現・Twin Disc Inc.)から技術導入することで変速機の早期開発を計った。 同社は1953年に、湿式多板クラッチによる直結段を持つリスホルム・スミス方式の液体式変速機「DF115」を完成した。同年3月から国鉄の協力により、DF1のテストに用いられた42500形2両にDF115を搭載、川越線で長期走行テストを繰り返した。その結果、45000系気動車が量産に移った後の1955年に国鉄に制式採用された。 DF115はクラッチ構造などの基本メカニズムこそ異なっていたが、減速比や制御システム、取扱方法はTC-2形と同等に揃えられている。従って、TC-2装備車とDF115装備車は相互に連結して運転でき、そのため国鉄は気動車用の変速機として両タイプを併用した。 とかく統一設計にこだわりがちであった国鉄が、気動車変速機について2社2方式併用となったのは、基本を海外ライセンスに依らざるを得ないため設計変更が難しいことから、同一仕様だが部分構造を違えた変速機を用いることでリスクに備える意味合いがあったとされる。新潟鉄工所は戦前からの有力な鉄道車両・エンジンメーカーであって国内メーカーを育成することを企図する国鉄がその参入を妨げるべき理由もなく、更に新潟が導入したツイン・ディスク・クラッチの設計は、単板クラッチのリスホルム・スミスの原型よりも進んだ多板クラッチ式で、その面からも導入が助けられたとも言える。
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