高校時代(1980年代前半)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:37 UTC 版)
「人間椅子 (バンド)」の記事における「高校時代(1980年代前半)」の解説
1981年、両者がともに青森県立弘前高等学校へ入学、そこから音楽仲間として徐々に交流が深まってゆく。すでに和嶋が宅録で作曲をしていたことを受け、鈴木は『デーモン』という曲を作る。これが『りんごの泪』の原型となった。 1982年(高校2年生)、和嶋は自室にてUFOと遭遇したことにより、精神状態が変容する。この超常現象による音楽性への影響も大きく、作曲の傾向も恋愛や青春から、厭世的で終末思想的なものに一変したという。終末をテーマとした『鉄格子黙示録』を作曲し、音楽仲間に聴かせたところ皆は気味悪がったが、鈴木だけは「今までの曲の中で一番好きだ」と評した。いわば、人間椅子の世界観のひとつが確立された時期でもあり、後にこの曲は人間椅子としての楽曲となっている。 1983年(高校3年生)、音楽仲間によって結成されたバンドに和嶋がギター、鈴木がベース担当として在籍する。文化祭にて、和嶋らが作詞作曲したハードロック調のオリジナル曲を披露したことが、人間椅子としての音楽活動の黎明となった。なおこの時のバンドは、両者にとっては不本意ながらも佐野元春のコピーがメインにも関わらず、名前が「死ね死ね団」だった。 1984年(高校卒業後)、両者とも浪人生となったが頻繁に文通でやりとりをしていた。当時、鈴木はブラック・サバスに心酔しており、是非とも和嶋にも好きになって貰いたく、「ブラックサバス ベストセレクションVol.1」と銘打ったカセットを手紙と共に送る。そして和嶋が見事にサバスを気に入ったことで、鈴木の思惑は功を奏した。和嶋いわく、サバスの重苦しいサウンドが、浪人中の悶々とした気分にぴったりとハマったのだとか。両者は文通を継続しながらも、大学に合格すればバンドを組むことを約束し合う。
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「高校時代」の例文・使い方・用例・文例
- 彼との付き合いは高校時代にまでさかのぼる
- 彼は高校時代ずっと首席だった
- 彼は高校時代の同級生と結婚した
- 必ず高校時代の話が出る
- 彼が高校時代のコトを思い出す
- 彼が高校時代の友達に誘われた
- 私は高校時代、彼らの音楽に熱狂したものだ。
- 高校時代はサッカーをしていました。
- それは高校時代の思い出を呼び覚ます。
- 私たちにあなたの高校時代の経験を話して下さい。
- 今日は高校時代の先輩と買い物をしました。
- わたしは幼稚園児のときから高校時代までずっと制服を着ていた。
- 私は、高校時代に化学が嫌いでした。
- 高校時代の友人と飲みに行った。
- 高校時代以降スポーツ競技に参加していない。
- 私たちは高校時代に同じ女性を好きになった。
- 私は実家に帰り、高校時代の友人や大学時代の友人と会った。
- これは私の高校時代の後輩による写真展です。
- 高校時代に真剣にサッカーに取り組んだ事を思い出します。
- 私は高校時代にこの音楽をよく聴きました。
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