かみ‐しも【上下】
読み方:かみしも
1 かみと、しも。うえの部分と、したの部分。身分の上位と下位、川上と川下、上半身と下半身、舞台の上手と下手、上の句と下の句など。
「大井川かはのしがらみ—に千鳥しば鳴く夜ぞふけにける」〈夫木・一七〉
「此の嬢子(をとめ)を得ることあらば、—の衣服を避(さ)り」〈記・中〉
㋑平安時代から室町時代にかけて、狩衣(かりぎぬ)・水干・直垂(ひたたれ)・素襖(すおう)などの上着と袴とが同じ地質と染め色のもの。
㋒(「裃」とも書く)江戸時代の武士の礼装・正装。肩衣(かたぎぬ)と、同じ地質と染め色の、わきの広くあいた袴とからなり、紋付きの熨斗目(のしめ)または小袖の上に着る。麻上下を正式とし、長上下と半上下の別がある。のち、半上下は庶民にも公務や冠婚葬祭などには着用が許された。
裃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/21 14:04 UTC 版)
- ^ 「よろづ存旨共候…もめんかたぎぬめされ候、なかなか見わるく候、やめられるべく候」(『結城氏新法度』、弘治2年〈1556年〉)。『中世法制史料集第三巻 武家家法Ⅰ』(岩波書店、1965年)294頁。
- ^ 「昔は仕官の人なども繻子純子(緞子)などの上下(裃)を着たるなり。今も越後の農家などにて婚姻などはれの時は、純子錦の上下を用ふときけり。戯場(しばゐ)にては常のことなり。これらもみな古風のなごりといふべし」(山崎美成著『世事百談』巻之一、「純子の上下」)
- ^ 『伝奇作書』(西沢一鳳著)には初代嵐雛助(1741年 - 1796年)が石川五右衛門を演じた時、五右衛門が公家に化けて餅屋に現れる場面で継裃を着たことが次のように記されている。「…餅屋場、中納言となり冠装束にての出も、雛助は京都芝居にてせし折は、継上下(裃)にてして当りを取りしとぞ。只十三里の道なれど、皇都は公家衆の通行を毎度見来り、浪華の者は公卿といへばいつも冠装束なりと思ふ者多し。ゆへに大坂にては譬へ背けたり共(とも)、公家といへば冠装束にてし、京都にては継上下にす」(『伝奇作書』続編下の巻、「古名人役者に妙ある話」)
裃
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