第二次事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 09:29 UTC 版)
1975年4月9日に発生した第二次事件は、韓国においては人民革命党再建委員会事件(인민혁명당 재건위원회 사건)として知られている。 1972年の朴正熙大統領による維新政府(独裁政権)の発足、及びに1973年の金大中事件により、1970年代前半の韓国では維新体制に反発する国内世論の勃興とデモの活性化が起きていた。そのような中、KCIAは「共産主義政権の樹立を狙う反政府団体」である全国民主青年学生総連盟(民青学連)関係者の摘発を開始し(民青学連事件)、その過程で1974年4月8日に国家保安法違反の嫌疑で都礼鍾を含む23人を逮捕した。彼等の罪状は、「人革党再建委員会を設立して人革党を再建し、民青学連の国家転覆活動を指揮したこと」とされていた。 1975年4月8日、大法院(最高裁判所)は都礼鍾と7人の被告人に死刑判決を宣告し、他の被告人には禁錮15年の有罪判決を下した。死刑囚の死刑執行は、判決からわずか18時間後の9日朝に執行された。
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