研究・著述活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 12:52 UTC 版)
宮崎の研究姿勢は、師の内藤湖南が提唱した唐宋変革論を受け継ぎ、社会経済史の立場に加え、西アジアやヨーロッパとの交流の影響および比較の上に立って、唐以前を中世・宋以後を近世と設定し、さらにそれを裏付けるために宋代における政治・制度・社会・経済などの研究から始まった。1950年「中国近世における生業資本の賃借において」に始まりいくつかの論考を発表。またその一つが科挙の研究となる。そこから派生して胥吏の研究に入り、胥吏の淵源を探ろうとして著されたのが『九品官人法の研究』である。さらに明清時代の景気変動の考察の延長に、景気変動史観を着想した。 その他にも佃戸に関する研究・『水滸伝』に関する論考など文化面・経済面など幅広い分野に、また漢代から清代に至るまでの幅広い時代に、宮崎の研究はこれら全てに及んでおり、その影響は限りなく大きい。
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