田川鳳朗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/28 06:48 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動田川 鳳朗(たがわ ほうろう、宝暦12年(1762年) - 弘化2年11月28日(1845年12月26日))は、江戸時代の俳人。本名、厳島義長。通称、東源。別号に対竹、鶯笠、自然堂、藍蓼庵、京陵など。天保三代家の一人。
生涯
宝暦12年(1762年)、肥後国(現・熊本県)で生まれる。若い頃から俳句の道を志し、郷土の武久綺石に学び、江戸では、鈴木道彦の門弟となり、真正芭蕉風をとなえる。当時、俳諧の普及は史上空前で「床屋俳譜」とも称されており、次第に頭角を現した鳳郎は、桜井梅室・成田蒼虬と共に「天保三代家」[1]に数えられた。
編著
- 「蕉門俳譜師説録」
- 「芭蕉葉ふね」
- 「自然堂千句」
脚注
- ^ 「天保の三宗匠」とも呼ばれている。
関連項目
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