演義、その他
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 13:22 UTC 版)
小説『三国志演義』でも、「姿質風流,儀容秀麗」に美男子として描かれている。二張(張昭・張紘)を推薦し、および策謀をめぐらして王朗と太史慈を破ることなどから、孫策の時代に史実より出番が多い。孫策の死後に遺命によって孫権に仕え、張昭と並ぶ重臣となった(史実では張昭だけが後見を務めていた)。赤壁の戦いでは史実と同様、主戦派の重鎮として登場するが、劉備と孫夫人の結婚を提案する。劉備の使者として呉に滞在していた諸葛亮にその出会いのときから翻弄され続ける損な役回りを負わされている。自らの策を全て見透かす諸葛亮を危険視し暗殺を企むも果たせず、終始ライバル視しながらも遂に敵わず病に倒れる。臨終の際にも諸葛亮からの挑発的な書状を読み、天を仰いで「既に周瑜を生みながら、何故諸葛亮をも生んだのだ!(既生瑜、何生亮)」と血を吐いて憤死するという最期となっている。 ただし、軍事の才は『演義』においても優れており、赤壁の戦いを始めとして、多くの戦いで戦功を立てるのは史実と同様である。一国を担う将器・常人に勝る才幹を持つ人物として描かれているものの、それを更に圧倒する鬼謀を備えた諸葛亮の、引き立て役にされてしまったというイメージが強い(諸葛亮と周瑜の対比描写について、魯迅などは「物語にしても、実在の人物の功を歪曲しすぎており、やりすぎである」などと批判している)。 京劇では、「美周郎」というあだ名の通り古来から二枚目が演じる役とされており、眉目秀麗な英雄としてのイメージが定着している。 なお、『演義』において諸葛亮の代名詞となっている道士風の綸巾・羽扇は、元代までは周瑜の姿をイメージした衣装とされていた。北宋の詩人蘇軾の『念奴嬌』(小題「赤壁懐古」)という詞では「遥想公瑾当年、小喬初嫁了、雄姿英発、羽扇綸巾、談笑間檣櫓灰飛煙滅」と歌われ、南宋代の楊万里の詩『寄題周元吉湖北漕司志功堂』(『誠斎集』巻23所収)でも「周郎」が「又揮白羽岸綸巾」と詠まれている。趙以夫の『漢宮春次方時父元夕見寄』でも「応自笑、周郎少日、風流羽扇綸巾」と、周郎と羽扇綸巾がセットとしてイメージされていた。これが諸葛亮のものになっていくのは元代後期以降である(詳細は三国志演義の成立史#綸巾・羽扇を参照)。
※この「演義、その他」の解説は、「周瑜」の解説の一部です。
「演義、その他」を含む「周瑜」の記事については、「周瑜」の概要を参照ください。
演義、その他
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 05:30 UTC 版)
小説『三国志演義』においては、いわゆる「毛宗崗本」など一部の版本において姓を「喬」に改められ、小喬と称される。「沈魚落雁閉月羞花」ほどの絶世の美女とされており、二人合わせて、江東の二喬と呼ばれたことになっている。妻となった経緯は語られていない。孫策の死後、夫と一緒に孫権を補佐している。赤壁の戦いでは、曹操が二喬を奪おうとしていることを諸葛亮からほのめかされた周瑜が、これに激怒して開戦を決意したことにされている。夫の死後、諸葛亮の哀悼文では、似合いの夫婦を賛美する。 唐の杜牧の詩『赤壁』という詞では「東風不與周郎便、銅雀春深鎖二喬(当時周瑜は東風の助けがなかったら、二喬は銅雀台に入っていた)」と詠まれ、二喬の名に触れている。また、北宋の詩人の蘇軾の『念奴嬌』(小題「赤壁懐古」)という詞では「遙想公瑾当年、小喬初嫁了、雄姿英発、羽扇綸巾、談笑間、檣櫓灰飛煙滅(遙かに想ふ公瑾(周瑜の字)の当年、小喬初めて嫁した。周瑜の雄姿は凛凛として、羽扇綸巾。周瑜が談笑の間の短い時間で、敵艦隊を灰と煙にした)」と詠われている。 『庸庵筆記』では、聡明で優しい美女の一人として名が挙がる。 京劇『鳳凰二喬』では喬婉(きょうえん)という名で登場する。
※この「演義、その他」の解説は、「小喬」の解説の一部です。
「演義、その他」を含む「小喬」の記事については、「小喬」の概要を参照ください。
演義、その他
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 08:40 UTC 版)
小説『三国志演義』では、元は劉表の側室だったことから、正室の陳夫人が亡くなると劉琮の生母ということもあり、正室として扱われる。やがて劉琮に後を継がせるべく蔡瑁と結託し、後継者の劉琦や客将の劉備までをも亡き者にしようとするが、失敗に終わる。 劉表の死後、遺言の偽造により当主となった劉琮は、南下した曹操に降伏し青州刺史に任命される。このため彼女もこれに同行するが、最後は于禁により劉琮と共に殺されている。 日本では、吉川英治の『三国志』において蔡瑁の「妹」になっており、横山光輝の『三国志』や「人形劇 三国志」もこれに準じている。
※この「演義、その他」の解説は、「蔡夫人」の解説の一部です。
「演義、その他」を含む「蔡夫人」の記事については、「蔡夫人」の概要を参照ください。
- 演義、その他のページへのリンク