永楽
永楽
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永楽
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1982年に景徳鎮の珠山路にある窯址の発掘調査が行われ、「永楽年製」銘のある白磁馬上杯の陶片が出土した。このことから、永楽年間(1403 - 1424年)には景徳鎮に官窯の存在したことが認められるようになった。永楽期の作品としては白磁と青花が主要なものである。白磁は「甜白」(てんぱく)と称されるもので、純白の素地にわずかに青みを帯びた透明釉の掛かったものである。青花は元代の余白を残さず濃密に紋様を描き詰める様式から変化し、余白を十分にとった絵画的な構図の花卉紋、花鳥紋などが官様式の典型的なものである。青花の器種としては、径50センチを超える大盤のほか、梅瓶、壺などの伝統的な器形、天球瓶(球形の大型の胴部に細長い頸部がつく)、扁壺(扁平な胴部をもつ壺)、洗(底の広い、深い容器)、水注などには西アジアのイスラム圏の金属器の器形を写したものがある。この時期には永楽帝の命を受けた武将鄭和が大船団を仕立てて南海への遠征を7回にわたり行っている。鄭和の船団の積荷に青花が含まれていたことは、イスタンブールのトプカプ宮殿やイラン北部のアルデビル・モスクのコレクションに残る大量の青花磁器から推察できる。永楽期の青花には蘇麻離青(「スマルト」の音訳)というイスラム圏から輸入したコバルト顔料が用いられ、濃厚な藍色に発色している。この時期の作品のうち、白磁には「永楽年製」銘を有するものがあるが、青花には年款銘を有するものがなく(後世の偽銘は除く)、この時期の白磁と青花の位置づけの違いを示唆している。
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