歴史地区
歴史地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/25 01:40 UTC 版)
古い都市の中核は歴史地区といい、同名の地区内にある。ノヴァーラはかつて円状の城壁を持っており、都市発展を許すために打ち捨てられた。旧市街には、バッリエラ・アルベルティーナという2つの新古典主義建築ビルの複合体が残る。これらは市へと入る門を構成しており、トリノからミラノへと旅する人々の必要とする通路であった。取り除かれた後、壁は歴史地区を取り巻く幅広の、街路樹が植えられた大通りバルアルディ(baluardi)に取って代わられた。 市最重要の記念物は、サン・ガウデンツィオ聖堂で、121mのキューポラを持ち、1888年にアレッサンドロ・アントネッリの設計で建設された。鐘楼も独特のものである。これを設計したのは、ヴィットーリオ・アルフィエーリの叔父であるベネデット・アルフィエーリである。 市の信仰生活の中心は、新古典主義建築のドゥオモである。設計はアレッサンドロ・アントネッリによるもので、まさにローマ時代に建てられたユピテル神殿のようである。ドゥオモに面するのはノヴァーラ最古の建築物、初期キリスト教時代の洗礼堂である。 ドゥオモと近接するブロレットの中庭は、帝国自由都市時代のノヴァーラの政治中心地であった(市議会の歴史ある会合場所)。ブロレットの中庭を見下ろすのはポデスタ広場、パラティシ家邸、市立美術館と現代美術館、市議会議場、15世紀の建物である。 レプブリカ広場から遠くないところにはチェーザレ・バッティスティ広場がある(ノヴァラ市民にはエルベ広場として知られる)。ここはまさにノヴァーラ市の中心をなしていた。 ジャコモ・マッテノッティ広場には、ナッタ=イゾラ邸がたつ。ここにはノヴァーラ県庁が入る。この邸宅のランドマークは時計塔である。ジャコモ・マッテノッティ広場から伸びるのはフラテッリ・ロッセッリ道で、市の行政事務所の入るカブリーノ邸が沿道にある。ローマ都市として、ノヴァーラの街路網はカルド・マクシムスとデクマヌス・マクシムスによって特色づけられた。これらは現在のイターリア道、カヴォウル道とそれぞれ一致する。2つの通りはアンゴロ・デッレ・オーレ("Angolo delle Ore"、時間の角)で交差する。 最大の広場マルティリ・デッラ・リベルタ広場(かつてのカステッロ広場)は、イタリア王国初代国王、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が占めている。マルティリ広場を見下ろすのはコッチア劇場、そしてヴィスコンテオ=スフォルツェスコ城で、ヴィスコンティ家とスフォルツァ家の代々のミラノ公によって建設された。ヴィスコンテオ=スフォルツェスコ城は、かつては現在残る複合施設よりさらに大きく、ノヴァーラ有数の公立庭園であるアッレアに囲まれていた。 ラルゴ・カヴール(Largo Cavour) ガリバルディ広場(Piazza Garibaldi) - ノヴァーラ駅に面した広場。最近補修された グラムシ広場(Piazza Gramsci) - 以前はロザリオ広場と呼ばれた。2005年に補修後、イカルス像が置かれた
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「歴史地区」の例文・使い方・用例・文例
- 島の北東に位置するアイルランドの歴史地区
- イスタンブール歴史地区
- ローマ歴史地区
- プラハ歴史地区
- ザルツブルク市街の歴史地区
- 平(ひら)泉(いずみ)の歴史地区と小(お)笠(がさ)原(わら)諸島がユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産リストに含めるよう推薦された。
- 6月下旬に開かれた会議で,ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会は東京の小(お)笠(がさ)原(わら)諸島と岩手県にある平(ひら)泉(いずみ)の歴史地区を世界遺産リストに加えることを決定した。
- 平泉の歴史地区は日本で12件目の世界文化遺産である。
- フィレンツェ歴史地区
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