楚軍
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『翔』等の三国伝独自の架空の名称ではなく、モチーフとなった史実の国「楚」と同じ漢字が使用されている。 項羽ターンX(ターンX) 声 - 北沢力(真三璃紗大戦) 楚の覇王。『BB戦士 三国伝外伝 武勇激闘録』のキーキャラクター。後に『BBW真三璃紗大戦』の「項羽の乱モード」の主人公となる。 400年以上前に滅びた国、『楚』の伝説の英雄"項羽"と同じ名を持つ謎の豪傑。自ら「覇王」を名乗り、楚の国による三璃紗統一を目指したが、劉邦との戦いに敗れ、散った。G記『項羽本紀』には、「その力は山を抜き、気は世を覆い尽くした」と記されている。 一人で軍勢を退けるほどの武勇を持っているが、誰にも仕えようとする気はなく、口笛を吹きながら三璃沙を渡り歩いている。 右腕の覇鉄甲から月光蝶のような衝撃破を放つなど、自身も知らない秘められた力を持っている。 赤壁の戦いが行われた地、荊州が出身らしい。赤壁の戦い後に空白地となった荊州で独立勢力「楚」を旗揚げする。しかし、それを認めようとしない機駕・轟・翔の三国に攻撃される。「四面楚歌」のもと追い詰められ、于禁と張苞と激闘を繰り広げるが、旧知の友であった劉封に討ち取られた。彼の死後は、一輪のヒナゲシが咲いたという。 なお、設定画が後に描き直され、モチーフであるターンXの意匠がより前面にでたデザインへと変更されている。「獄騅刀」の先端の形状も、ターンXのビームライフルと同じ形状に変更された。 実は設定画が発表される遙か以前、BB戦士劉備ガンダム初回限定特典である「武将まるわかりポスター」でのときた洸一による描きおろし漫画のラストシーンにて、項羽ターンXのデザインの雛形となったと思われる謎の武将が描かれていた。 武器/獄騅刀<ごくすいとう>(ビームライフル:炎のように揺らめく刃を持つ大剣。その特殊な形状の刀身は敵の鎧を引き裂き、死よりも苦しい痛みを与えるといわれる)、虞美神刀<ぐびじんとう>(ビームバズーカ:項羽の背中に背負っている大青龍刀。ヒナゲシの花をあしらった刀身の装飾が、戦いの際には敵の返り血で真紅に輝くという)、覇鉄甲<はてっこう>(溶断破砕マニピュレーター:神話の時代から受け継がれてきた手甲。覇鉄甲が輝く時、歴史は黒に染まると伝えられる。その輝きの源は闇の力なのかは不明) 必殺技/拳覇爆碎<けんはばくさい>覇鉄甲の輝きと共に、項羽の全闘気を敵に叩きこむ必殺拳。その構えは、阿修羅神拳の使い手の一人である孟獲の必殺技「神拳爆砕」に酷似しているが、項羽が天の刃であったかどうかは定かではない。モチーフは、ターンXのシャイニングフィンガー。 馬謖ガンダム 鮮烈なる俊英。『三国伝外伝・武勇激闘録』に登場。荊州出身の若き天才軍師。その才能は孔明も認めるところであり、自らの後継者として指導している。翔の未来を背負って立つ人物と目されているが、その才能を鼻にかけ時に傲慢な態度が顔をのぞかせることを孔明から心配されている。 赤壁の戦いの際、許褚率いる曹操軍の追手と戦闘中だった項羽ターンXと出会い、自分と手を組もうと勧誘。以後、行動を共にし、翔を裏切り独立勢力「楚」を打ち立てた。楚を認めない三国の攻撃を受け、山頂に布陣するも孤立し、敗北した。その後、項羽に論され単身で脱出した。 武器/巨斬半月刀<きょざんはんげつとう>(見た目は巨大だが、軽量で扱いやすい剣)、一刀翔<いっとうしょう>(海を渡った別の国で作られた名刀)、白良<はくりょう>(一刀翔を手に入れたとき、もれなく付いてきた刀)、翼撃剣<よくげきけん>(飛刀と呼ばれる手裏剣の一種) 必殺技/半月爆投陣<はんげつばくとうじん>大地に描いた陣に敵を誘い込み、巨斬半月刀で一気に殲滅する攻防一体の戦陣。 BB戦士 No.348(BB戦士 武侍丸の流用) 楚軍部隊兵(ボルジャーノン) 『三国伝外伝・武勇激闘録』に登場する項羽率いる楚軍の一般兵。 ザクやジムなども存在する。
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楚軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 05:21 UTC 版)
秦軍に包囲された鉅鹿城に、楚は将軍宋義を主将、将軍項羽を副将とする援軍を派遣した。 しかし宋義は途中の安陽で46日間も逗留した。宋義としては、勢いに乗っている上に圧倒的な大軍である秦軍と趙軍をなるべく長期間戦わせることで秦軍を疲弊させ、その後で攻撃を開始すべきだと考えていた。また彼は、秦に対抗するために斉との同盟の話も進めており、息子の宋襄を斉の宰相として送ることとなった。 一方秦との速戦を望む項羽は調略を重視して中々戦おうとしない宋義に業を煮やして首を刎ね、「宋義は斉と共に楚への反乱を企てたので楚王の密命により誅殺した」と主張して諸将を納得させ、自身が主将となって楚軍を率いて鉅鹿へ進軍した。
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