華翠大橋
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華翠大橋(かすいおおはし[註 1])は台湾台北市万華区と新北市板橋区の境界、新店渓に架かる道路橋。その源流は台湾総督府鉄道(現在の台湾鉄路管理局)縦貫線の鉄道橋だった新店渓橋(しんてんけいきょう)にまで遡る。
註釈
出典
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新店渓橋(鉄道橋)
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元々淡水橋経由で新竹方面を結んでいた清朝時代の路線(全台鉄路商務総局鉄道)は日本統治後も使用していたが、水害により桃園までは新店渓と大漢渓を渡河する現在のルートに変更され、新店渓を渡る橋は当時の金額で229,599円を投じて1900年(明治33年)1月に起工し、翌1901年(明治34年)2月20日に竣工。同年8月25日に台湾総督府鉄道縦貫線が現在のルートで開業と同時に新店渓橋として開通した。全長は1208フィート10インチ(約368メートル)の版桁橋。 その後複線化により1922年と1932年に上下線でそれぞれ約368メートルの橋梁となった。 第二次世界大戦後に中華民国統治となると、1948年5月28日に橋上を走行中の列車で乗客が持ち込んだ可燃物が発火、140人が死傷する列車火災事故が発生している。6月12日に万華側の、6月25日には板橋側の住民が主催する追悼式典が新店渓橋付近で行われている。(新店渓橋列車火災事故) 1981年6月23日に台風の襲来で被災、1983年12月26日に17メートル下流側で再建工事を着工、4度に及ぶ設計変更を経て1991年11月15日に竣工している。全長701メートルのビーム橋。これが現在の道路橋の直接の前身となる。 縦貫線の万華と板橋間の地下化事業は中央政府の六年国建(中国語版)に組み込まれ、1992年9月14日に起工した。1999年7月21日、縦貫線地下トンネルのうち、北側の複線水底トンネルが開通。2002年10月31日に縦貫線地下トンネル南側線も開通(現在は台湾高速鉄道が使用)。
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