独裁官とは? わかりやすく解説

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独裁官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/10 18:17 UTC 版)

古代ローマ

ローマ時代の政治


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独裁官(どくさいかん)、ディクタートルラテン語: dictātor)は、共和政ローマ政務官。あらゆる領域に及ぶ強大な権限を有する政務官であり、国家の非常事態に1人だけ任命された。「独裁者」の語源。

概略

ローマにおける行政の長は、毎年2人任命される執政官(コンスル)であった。しかし、外敵の侵入や疫病の流行、政治的混乱など、国家の非常事態が発生した場合、権力が分散されているのは非効率的である。そこでローマは、そういった場合にはただ1人に強大な権限を与えて事態に対処させることとした。これが独裁官が誕生した理由である。ただし、任命された者が無制限に権力を行使しないように、その任期は短期間(通常6箇月)とされていた。独裁官は、ローマの元老院が非常事態と認定した時、元老院の要請によって執政官が指名した。

通常時の全ての政務官は独裁官の下に置かれ、独裁官の決定は護民官拒否権によっても制限されないものとされた[注釈 1]。さらに補佐役として騎兵長官(マギステル・エクィトゥム)を独断で任命することができ、インペリウム(命令権)が与えられた。戦場においては、主力である歩兵を独裁官自身が指揮するのに対して、騎兵長官は騎兵の指揮を担当した。

インペリウムがポメリウム内でも発揮できたのかについては議論があるが、単独の独裁官は同僚の拒否権からも、市民のプロウォカティオからも制限を受けることなく行動できたこと、ポメリウム内でもファスケスから斧を外さなかったことから、軍法を元にしてそれらの制限を回避し、即決の処刑を可能にしたとも考えられる[2]

歴史

共和政の初期から中期には、執政官では対応できない危機において、独裁官がたびたび必要とされた[3]。初期には極めて効果的で、初めて独裁官が任命されたのは紀元前501年ローマ市の暴動を抑えるためであった[1]。しかし、第二次ポエニ戦争以降は、イタリア半島は一世紀以上にわたって平和を享受し、独裁官は必要とされず、その後国内の混乱を収めるための別のシステムが考案された[4]内乱の一世紀では、セナトゥス・コンスルトゥム・ウルティムム(元老院最終決議)を受けた執政官が、幾度か市内で市民を殺害しており、これは独裁官の代わりとも考えられ、最大半年の任期を持つ独裁官と違い、対象を「ホスティス(公敵)」と宣言して絞ることで、より市民に受け入れられやすい制限された形とも言える[5]

しかし、ルキウス・コルネリウス・スッラガイウス・ユリウス・カエサルは独裁官を復活させた[6]。カエサルは終身である永久独裁官英語版(ディクタトル・ペルペトゥオ)となり[7][8][9][10]、カエサルの暗殺後、生き残った執政官マルクス・アントニウスは、元老院をカピトリヌスに召集し、共和派を懐柔するため、独裁官廃止などの提案を行った[11](Lex Antonia de dictatura in perpetuum tollenda[12])。

後に全権を掌握したアウグストゥスに対して元老院からスッラやカエサルのような意味で独裁官の職が与えられようとしたがアウグストゥスはこれを拒否し、ローマの歴史からこの職は消えた。アウグストゥスは建前上は独裁官のような職には就かなかったものの、実際には平時の各種官職を一身で兼任することにより古代ローマの独裁者として君臨し、自らの血統者にその地位を継承させた。帝政ローマの始まりである。

著名な独裁官

脚注

注釈

  1. ^ ただし、独裁官に対するインテルケッシオ(拒否権)、プロウォカティオ(上訴権)共に有効であったとする説もある[1]
  2. ^ 歴史家リウィウスによる説。もっともリウィウスも「諸説ある中でもっとも古い記述によるもの」としている[13]

出典

  1. ^ a b Drogula, p. 446.
  2. ^ Drogula, pp. 445–446.
  3. ^ Drogula, p. 445.
  4. ^ Drogula, p. 447.
  5. ^ Drogula, pp. 447–449.
  6. ^ Drogula, p. 448.
  7. ^ ファースティー・カピトーリーニー「・・・ガーイウス・ユーリウス・ガーイウスの子・ガ-イウスの孫・カエサル、永久独裁官。公務のため」
  8. ^ リーウィウス『梗概』116「元老院が数々の栄誉、祖国の父と呼ばれる権利、永遠の身体不可侵権と独裁官権限を決定した後、・・・」
  9. ^ Martin Jehne, Der Staat des Dicators Caesar, Köln/Wien 1987, p. 15-38.
  10. ^ Stefan Weinstock, Divus Julius, Oxford 1971.
  11. ^ Weigel, p. 338.
  12. ^ Rotondi, p. 131.
  13. ^ リウィウス 『ローマ建国以来の歴史』岩谷智訳、京都大学学術出版会、2008年、160頁

参考文献

  • Giovanni Rotondi (1912). Leges publicae populi romani. Società Editrice Libraria 
  • Richard D. Weigel (1986). “MEETINGS OF THE ROMAN SENATE ON THE CAPITOLINE”. L'Antiquite Classique (L'Antiquite Classique) 55: 333-340. JSTOR 41656361. 
  • Fred K. Drogula (2007). “Imperium, Potestas, and the Pomerium in the Roman Republic”. Historia: Zeitschrift für Alte Geschichte (Franz Steiner Verlag) 56 (4): 419-452. JSTOR 25598407. 

外部リンク


独裁官(紀元前358年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 23:16 UTC 版)

ガイウス・スルピキウス・ペティクス」の記事における「独裁官(紀元前358年)」の解説

紀元前358年、ガイウス・スルピキウスは独裁官に任命されラティウムのペドゥム(en)にまで侵攻したガリア人対処することとなった。ガイウス・スルピキウスは自軍野営地強化努めたが、兵士達はこれに不満であり、即戦決着望んだこのためガイウス・スルピキウスは敵軍向かい、困難も無くこれに勝利した。この勝利に対して二度目凱旋式栄誉与えられ相当量の金も含む大量戦利品と共にローマ帰還した。 「マルクス・フリウス・カミルス以来ガリアに対してこのような勝利を収めたのはガイウス・スルピキウスのみであった。彼は戦死したガリア兵が身に着けていた金を戦利品として収集したが、それは相当な量に達した。この金はカピトリヌスの丘神々奉納された」 (ティトゥス・リウィウスローマ建国史』、VII, 15

※この「独裁官(紀元前358年)」の解説は、「ガイウス・スルピキウス・ペティクス」の解説の一部です。
「独裁官(紀元前358年)」を含む「ガイウス・スルピキウス・ペティクス」の記事については、「ガイウス・スルピキウス・ペティクス」の概要を参照ください。

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