恋人・妻選び
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 08:38 UTC 版)
様々な証言や恋人選びから、三島が交際した女性や妻には、亡くなった17歳の妹の影をどこかで求めていたような節があるという。 妹・美津子の死後、1946年(昭和21年)6月から1948年(昭和23年)2月頃まで、三島は妹の聖心女学院での同級生だった紀平悌子(佐々淳行の姉)と交際し、また、1950年(昭和25年)10月から1951年(昭和26年)までには、同じく妹の三輪田高等女学校時代の同級生だった板谷諒子と交際をしていた。 また、三島が1954年(昭和29年)8月頃から1957年(昭和32年)5月まで真剣交際していた女性・後藤貞子(旧姓・豊田貞子。19-22歳)について湯浅あつ子は、「彼女はとても美人で、お人形のような顔立ちで、不思議に亡妹美津ちゃんに似ていた」としている。 三島と結婚した杉山瑤子に会ったときの第一印象について美輪明宏は、「私、瑤子さん見たとき、びっくりしましたもの。亡くなった妹さんの写真にそっくりで」と述べている。 川島勝(講談社の編集者で25年間、三島と交流があった)は、自分の妻と美津子が女学校時代の同窓だったことを知った三島から、声をかけられた当時を述懐して次のように語っている。 たまたま私の家内がその妹の美津子と女学校時代の同窓だった。母倭文重からその話を聞いた三島は「あなたの奥さん、うちの妹と同級だったんですって……よかったらいちど遊びにいらっしゃいませんか」と言った。(中略)この日は夕方までお邪魔をした。庭続きに住む両親の平岡梓夫妻も招んで、瑤子夫人の手料理の歓待を受けた。(中略)三島は父親と同席のときはたいてい聞き役に回っていたが、この日はとくに妹美津子と家内を重ねて当時のことを思い出していたのか心なしか寡黙にみえた。 — 川島勝「三島由紀夫の豪華本」 なお、三島は女性の好きな言葉遣いとして、美津子がよく使っていた、語尾に「ことよ」と付ける言い方に触れている。 私は妙にあの「ことよ」といふ言葉づかひが好きだ。口の中で小さな可愛らしい踵を踏むやうに、「ことよ」と早口でいふのが本格である。私がやたらむしやらこの用法に接するやうになつたのは、亡妹が聖心女子学院にゐた時からで、聖心では何でもかんでも、行住座臥すべて「ことよ」である。 — 三島由紀夫「声と言葉遣ひ――男性の求める理想の女性」 杉山瑤子と見合いする前には、美津子のいた聖心女子大学の卒業式を参観し、そこを首席で卒業した正田美智子とお見合いをしたこともあった。
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