御料所
御料所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/17 06:24 UTC 版)
御料所(ごりょうしょ)は、天皇(皇室)及び幕府などのいわゆる「公儀」と称される公権力が直接支配した土地(直轄地)である。料所(りょうしょ)・料(りょう)・御料(ごりょう)・料地(りょうち)・御料地(ごりょうち)等とも呼ばれる。家臣に与えられた所領(知行地)に対する概念でもある。
なお、『日葡辞書』においては、「王位に付属する領地、すなわち、国王の私有の領地や土地」と定義している。
概要
守護大名や戦国大名の蔵入地や、江戸幕府の公儀御料(明治以後は天領)も御料所の一種である。また、天皇の御料地を特に禁裏御料あるいは皇室御領と称する場合もある。なお、実際には家臣などを代官として支配・経営させている場合も多く、実態としては朝廷や幕府を本所や本家あるいは領家とした荘園に近い形態であったとも考えられている。
室町幕府も50ヶ所近い御料所(公方御料)を保持して、直臣の奉公衆・奉行衆を代官として派遣して納めさせていたが、戦乱が相次いだことで経営は不安定だった。足利氏が鎌倉幕府に認められていた所領35ヶ所及び建武政権下で鎌倉幕府倒幕の恩賞として授けられた45ヶ所が公方御料の元となったが、足利義満・義持の頃まで幕府に残されていたのは下野国足利荘など少数であった。その一方で幕府成立後の獲得分も存在し、記録上登場する公方御料はのべ200ヶ所にのぼるが[1]、一時的な支配地も相当数含まれていた。そのため次第に京都の商工業から挙がる税収に依存するようになる。納銭方を「料所」と呼称したのもその反映であったとされる。また、山城国守護職を幕府の侍所所司などの要職者に宛がって短期間で交代させることで守護領国制の形成を阻止するとともに、その経済的得分の一部を確保していた。ただし、御料所には足利将軍家の近親や、守護やその関係者に預けられるケースもあり、御料所の中には大規模・高収入な所領がかなり多く、通説よりも高く評価すべきだという説もある[2]。
中世戦国期における毛利氏の場合、石見銀山を名目上“禁裏御料”とすること(もちろん朝廷への経済的援助を伴う。毛利氏と上杉氏は、戦国期の皇室援助の2大功労者である)で、時の政権(豊臣氏)の干渉を免れていたようである。
脚注
参考文献
- 佐藤進一 「室町幕府論」(家永三郎ほか編 『岩波講座日本歴史 7』 岩波書店、1963年。佐藤進一 『日本中世史論集』 岩波書店、1990年)
- 桑山浩然 「室町幕府の経済構造」(永原慶二編 『日本経済史大系 2 中世』 東京大学出版会、1965年。桑山浩然 『室町幕府の政治と経済』[1] 吉川弘文館、2006年5月1日、pp.92-125、ISBN 4-642-02852-8 オンデマンド版 2022年 ISBN 9784642728522
- 山田徹 「研究ノート 足利将軍家の荘園制的基盤-「御料所」の再検討-」『史学雑誌』第123編第9号、史学会、2014年9月20日、pp.32-57
関連項目
御料所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/07 19:40 UTC 版)
古河公方の経済力の基盤となる御料所について、複数史料の分析から下記の地域名が検出されている(足利成氏期)。 下総国: 下河辺荘、大方郡 武蔵国: 太田荘、騎西郡、足立郡 下野国: 足利荘、小山荘南部、小山荘小薬郷、中泉荘(西御荘)、寒川郡、佐野荘の一部もしくは全域、皆河荘の一部もしくは全域 上野国: 佐貫荘の一部もしくは全域 他にも、常陸国、上総国、安房国、相模国に御料所が散在していた。多くは鎌倉府直轄領を引き継いだものである。関東平野中心部に相当な広さの領域を占めている。 これら御料所郡の中心を旧利根川・渡良瀬川(太日川)が貫き、河川交通によって各拠点が結ばれていた。古河府では鎌倉府と異なり、簗田氏・野田氏が重臣として台頭するが、その背景として、河川交通の重要拠点である関宿・栗橋を支配し、舟運を把握していたことがある。古河公方の権力基盤は、農業生産だけではなく、「河川交通・津・渡・関・宿など都市・流通路支配」も大きな要素となっていた。 足利成氏期以後は、第2代政氏と第3代高基の抗争や、高基と小弓公方・足利義明の抗争などにより分裂し、古河から離れた相模国・安房国・武蔵国西南部・上野国などの不知行化が進む。第4代晴氏・第5代義氏期には、古河周辺の下総国下河辺荘・幸嶋荘、武蔵国・太田荘(除西部・南部)・騎西郡、下野国小山荘南部・寒川郡・中泉荘(西御荘)に集約された。このときの古河公方発給文書から、所領の宛行・安堵の単位が郡・荘・郷から、郷・村単位に細分化されていることが分かっている。御料所の集約と同時に支配の深化・集中が進み、「古河公方領国」とも呼ぶべき領域を形成したと評価されている。すなわち関東の地方政権「古河府」は、一地域の領主による「古河公方領国」に転化していく。
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