幕府領時代
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水野家の断絶により福山藩領は一時幕府直轄となり、代官3人が派遣された。代官所は城下東端の三吉町に置かれ(三吉陣屋)、福山城の城番は讃岐国丸亀藩の藩主京極高或(縫殿)が務めた。同時に幕府は厚木村を除く領内全地域の検地(元禄検地)を命じ、岡山藩から検地団約2400人が送り込まれた。この結果、水野時代の増産や検地の厳格化、尺度の変更による面積の水増しなどより、福山藩の石高は約15万石と査定された。この検地以前の石高は約13万2800石だったので、実質的には平均で約10%の増税ということになる。
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幕府領時代(1664年 - 1681年)
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寛文4年(1664年)の三宅家転封後、衣の地は幕府領となり、三河代官・鳥山家の支配下に入る。鳥山家は三宅家の築いた陣屋を廃し、そこの町の郷倉を建て、さらに堀を埋め立てそこを田地とした。他に道路の拡張や養蚕の奨励、灌漑などの事業を行った。
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