山崎派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 10:06 UTC 版)
一方、山崎派の離脱者は、現役閣僚のために身動きが取れなかった保岡興治を除けば実質1人(稲葉大和)に留まり、派閥の結束を党内に知らしめた。乱に参加したこと自体には党内から批判を浴びたものの、小所帯ながらも、かつて鉄の団結を誇った田中派を彷彿とさせる結束に党内から感嘆の声が上がった。 しかしながら結束は保ったとは言え、加藤の乱以後は内閣改造で保岡が閣僚離任をして山崎派の閣僚が1人もいなくなり、党内での影響力は更に落ち込み窮していた。この間、加藤派との合流や民主党への合流が噂されたが、小泉総裁誕生後は山崎が幹事長、その後副総裁に就任し、主流派となるなど、山崎と山崎派は党内で影響力を維持することに成功した。
※この「山崎派」の解説は、「加藤の乱」の解説の一部です。
「山崎派」を含む「加藤の乱」の記事については、「加藤の乱」の概要を参照ください。
- 山崎派のページへのリンク