山中長俊とは? わかりやすく解説

山中長俊

読み方やまなか ながとし

山城守法名紹春。為俊の子佐々木承順・豊臣秀吉仕え徳川家康からも昵懇にされていた。近江六人衆一人著書に『中古日本治乱記』がある。慶長12年(1607)歿、61才。

山中長俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/01 10:13 UTC 版)

 
山中 長俊
時代 戦国時代安土桃山時代
生誕 天文16年(1547年
死没 慶長12年2月24日1607年3月21日
改名 長俊
別名 橘内
戒名 紹春
墓所 西教寺
官位 従五位下山城守
主君 六角義賢柴田勝家丹羽長秀豊臣秀吉秀頼徳川家康
氏族 橘氏甲賀山中氏
父母 父:山中為俊
信俊、友俊、盛俊
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山中 長俊(やまなか ながとし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大名。山中為俊の子。通称は橘内。近江六人衆[1]の一人。豊臣政権の奉行衆の1人[2]

来歴

近江国甲賀郡の出で、甲賀二十一家の山中氏の庶流(南北朝時代に分かれている)。はじめ六角氏に仕えて、永禄11年(1568年)9月に織田信長によって六角義賢が居城を追われた際は、これを甲賀郡に保護して信長と抗戦している。天正元年(1573年)9月には石部城に籠城、包囲軍の佐久間信盛配下の将・林寺熊之介を討ち、義賢から感状を受けた。天正2年(1574年)4月に石部城が開城すると義賢を守って伊賀国まで落ちるが、多くの家臣を帯同する義賢を国人らが快く思わなかったため、再三の辞退にもかかわらず義賢より暇を与えられる。

その後は織田氏に従い、柴田勝家に属し3000石を与えられ家老となる。北陸方面での攻略においては勝家の発給文書に副状を添えたり、河田長親の誘降工作を担当しており、また、信長死後、秀吉と勝家が対立すると伊賀衆の調略を担当、伊賀衆の出陣を勝家から促されるなど[3]、勝家に重用されている事が窺える。天正11年(1583年賤ヶ岳の戦いにおいて柴田氏が滅亡した後は丹羽長秀に仕えたが、長秀の死後に家中が乱れたため、堀秀政に寄食した。

天正13年(1585年)に豊臣秀吉に召し出され右筆となり、天正18年(1590年)の小田原征伐奥州仕置に従軍し、外交折衝などで活躍した。文禄元年(1592年文禄の役では肥前国名護屋城に在陣。文禄2年(1593年)以降、豊臣家蔵入地の越前国北袋銀山代官、筑前国蔵入地代官などを歴任し、同年9月に100石を加増された。同年、山城守に叙任され、豊臣姓を下賜された。文禄4年(1595年)には、1万石となり大名に列した。所領は摂津国西三郡、河内国中部、近江国伊勢国に分散していた。その後、畿内太閤蔵入地3万石の代官となる。慶長3年(1598年)8月、秀吉の死に際して遺物国宗の刀を受領[4]

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際は、西軍に属し大坂城留守居・守備隊として大坂城周辺を守備した。このため、戦後に改易となり、徳川氏より微禄を与えられたが京に隠棲し、慶長12年(1607年)同地で死去した。

秀吉の命により『太平記』の続書として長編歴史書『中古日本治乱記』を執筆。貞治元年(1362年)から慶長2年(1597年)まで執筆したところで秀吉が死去したが、のちに太田資方の勧めで増補し、関ヶ原の戦いの終結までを執筆して完成させた。

長男信俊は後年失明したため、その子は長俊の子として処遇された。信俊長子の幸俊豊臣秀頼に仕え、豊臣氏滅亡後は浅野長晟に仕えて子孫は広島藩士として存続した。信俊次子の宗俊は徳川家康に仕えて1000石を賜り、子孫は旗本として存続している。また次男の友俊は紀州藩に仕えた。

脚注

  1. ^ 永禄11年の六角義賢父子没落の際、離散せず義賢に従った6人の家臣のこと。
  2. ^ 守矢家文書』によるといわゆる五奉行とともに政務に携わった豊臣政権の十人衆として富田一白佐々行政寺西正勝毛利吉成堀田一継石田正澄片桐貞隆石川光元山中長俊木下延重の名が挙げられている
  3. ^ 織田信長家臣人名辞典(P.520)
  4. ^ 戦国人名辞典 増訂版(P.263)

参考文献

  • 太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年。 
  • 村川浩平「羽柴氏下賜と豊臣姓下賜」『駒沢史学』49号、1996年。 



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