少数民族の弾圧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:45 UTC 版)
同政府は少数民族が国家から分離独立することを恐れており、厳しい言論統制を敷いていた。トルコ語以外の言語は、読み書きすることはおろか話すことさえ禁止されていた。さらに、政治活動家や研究者、また少数民族の市民が「トルコには少数民族が存在する」と発言しただけで逮捕され、投獄を受ける状況であった。 例えば、あるトルコ人の社会学者はトルコ東部でクルド人と接して現地調査を行った結果、「クルド語は独自の言語であり、クルド人は独自の民族を構成する」と発表したところ、「売国」言動を行ったとされ、投獄された。また、あるフランス人の医師は休暇にトルコ東部で医療ボランティアを行っていたが、帰国の際にクルド音楽を録音したカセットテープを所持していたため「分離独立主義者の共鳴者」として逮捕され、投獄された。 小島はトルコ各地で「分離独立主義者」として政府に拷問された人々の体験を聞いた。彼らは濡れた手で耳を殴られて鼓膜を破られたり、性器や舌に電流を流される拷問を受けていた。トルコ軍によるアレウィー教徒の大量虐殺事件である「デルスィム事変(デルスィム反乱(英語版、ドイツ語版)、1936年)」の生き証人たちにも出会った。 当時のトルコで出版されていたトルコ語の辞典では、「クルド人」は「本来トルコ系であるが現今では崩れたペルシャ語を話す集団」と定義されていた。なお、小島によればクルド語は「崩れたペルシャ語」ではなく、独自の言語である。また別の辞典には「クルド人」の項目がなかった。
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