収監
投獄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/05 05:28 UTC 版)
明治元年9月29日(1868年11月12日)に久賀島ではキリシタン約200人が松ヶ浦の大開(おおびらき)の牢屋に入れられ、石抱や水責めなどの拷問を受けた。キリシタンたちが収監されたのは、わずか6坪ほどの狭い牢で、死亡者42名(うち、出牢後の死亡者は3名)を出した。 窮屈な牢屋の中は、土間のままで厚い板で中央を区切り男牢と女牢とに区分けされた。押し込められた200人は立錐の余地もなく、せり上がって足が床に着かず、身動きできないまま死んでいき、放置された死体は腐乱してウジが湧いた。牢に入れて3日後には、牢の中央に1本の丸太を入れて片側の人をできるだけ壁に寄せて立たせ、片方の土間に交代で座らせて少しずつ休ませるようになった。与えられた食べ物は朝夕にサツマイモを一切れずつで、ひもじさに泣き狂う子供に顔をかきむしられて血まみれになった母親もいた。体力の無い老人や子供から死んでいき、最初に死んだのは79歳の助市だった。5歳の政五郎は水を求めて「アップ(水)、アップ」と言いながら渇き死にした。 牢屋の窄殉教記念教会にある碑には、 「十三歳のドミニカたせはウジに腹部を食い破られて死亡した」 「十歳のマリアたきは熱病に冒されて髪の毛は落ち、それでも『パライゾ、パライゾ、わたしはパライゾ(天国)に行きます』といって息を引き取った」 「その妹マリアさもは七歳の幼女であったが、『イエズス様の五つのおん傷に祈ります』と言い残して亡くなった」 など、殉教した者たちの様子が書かれている。役人は信徒たちに拷問を加えて改宗を迫り、仏僧たちは鈴を鳴らして、経を唱えながら牢の周囲を回った。 ある晩、捕えられなかった信徒2、3人が伝馬船で牢屋に近づき、マリアのメダイを牢屋に投げ込んだ。メダイを受け取ったキリシタンたちは「我等にサンタ・マリアのご加護あり」と歓喜したという。 ペトロ中村友吉は、父母とともに牢に入れられ、母はそこで他の信徒たちに踏みつぶされて亡くなった。葬ってよいと許可が出たが、家は荒らされ、鍬も農具も盗まれて掘る道具が無かったため、手で穴を掘って母の亡骸を埋葬した。改葬の時、掘り返してみると、地下70センチの所に2本の骨が残っていたので。それを牢屋の窄へ納めた。 プティジャン神父は、この久賀島での弾圧について1868年(明治元年)12月15日付書簡でパリの神学校長ルッセイ神父に報告している。
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「投獄」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は投獄された
- 彼は殺人罪で投獄された
- 彼は公金の不正使用で投獄された.
- その殺人犯は投獄された
- 圧政的な政府はしばしば政敵を投獄する。
- 彼は逮捕投獄される危険を冒した。
- 全員が戦後、連合軍によって投獄され、その後戦犯として死刑か長期の刑期を宣告された。
- ヨハネはまだ投獄されていなかったからである。
- その法律には今後フットボールをしてはならず、そしてこの法律を破ったものはだれであれ投獄されると書かれていました。
- その男は殺人の疑いで投獄された。
- このような犯罪は罰金および投獄又はそのいずれかで罰せられる。
- その男は投獄[精神病院に収容]された.
- 彼は投獄された.
- 人を投獄する.
- を投獄する.
- 投獄される.
- 彼は何ら公平な審理にもかけられずに投獄された.
- 彼らは彼を捕らえて投獄した.
- ハイジャック犯たちは投獄中の同志の釈放を要求し, もしそれが容れられなければ飛行機を爆破すると脅してきた.
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