外交政策の歴史
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「中華人民共和国の国際関係」の記事における「外交政策の歴史」の解説
詳細は「中華人民共和国の国際関係史(英語版)」を参照 「パンダ外交」も参照 中華人民共和国はその建国以来、香港、マカオ、台湾を含むすべての『中国』の唯一の正統的な政府であるとの国際的地位を勝ち取るため、多大な努力をしてきた。1970年代初頭までは台北の中華民国政府が世界の大国及び国連から外交的に承認されていた。1971年、国連において『中国』の正統的な政府として北京の中華人民共和国政府が承認され、台湾の中華民国政府は追放された(アルバニア決議も参照)。そして世界においてますます重要な地位を占めるようになり、多くの国が中華民国に代わり中華人民共和国との国交を樹立した。日本は1972年に日中共同声明によって中華人民共和国との国交を樹立し(日中国交正常化)、同年、米国もそれに続いた。中華人民共和国と国交を持つ国の数は167ヶ国に上り、25ヶ国が中華民国との国交を保っている(台湾問題も参照)。 中華人民共和国と中華民国はともに他国と外交関係を築く際、自国の他に『中国』の政府を認めないことを必須条件としている。 中国は建国後、ソ連、東側諸国や他の共産主義国と結束することに重点を置き(向ソ一辺倒)、1950年に主要な敵国である西側諸国と特に米国に対抗するため、中ソ友好同盟相互援助条約を締結したのを始め、いくつかの協定を結んだ。韓国、米国及び国連軍に追い詰められ、苦境にあった北朝鮮を支援するため朝鮮戦争に参戦したことは中国にとって長い間苦い感情として残っていた。朝鮮戦争終結後、中国はパキスタンや他の第三世界諸国、特に東南アジア諸国と友好関係を築いたことにより、ソ連とは距離を置き、独自の地位を模索し始めた。 1950年代の終わりまでに中国とソ連の関係は悪化し(中ソ対立)、1960年、ソ連は中国から顧問を召還した。両国は世界の途上国を自国の陣営に取り込むことに躍起になり、中国は非同盟運動の盟主を自認し、多くの国と外交関係を結んだ。1960年代には北京とモスクワは共産主義国と途上国への政治的関与を競うようになった。1962年、中国はインドとの国境紛争をめぐって短い戦争を行った(中印国境紛争)。1969年までにソ連との緊張が高まり、ついに国境付近での戦闘が始まった(中ソ国境紛争)。プラハの春に続くソ連の武力行使は中国のソ連に対する対抗意識を増大させ、中国は自国の戦略的地位について考えるようになった。中国は西側諸国に対して敵愾心を持つ事を徐々にやめ、外交関係を持つ努力を始めた。 ちょうどその頃、1971年、北京政府は台湾の中華民国に代わり国連に加盟することに成功し、米国との関係は雪解けに向かった。1973年にはリチャード・M・ニクソン大統領が中国を訪問し、1978年、公式な外交関係を持つに至った。それ以来両国は四半世紀に渡って、台湾、貿易の均衡、知的財産権、核の拡散、人権などその時々に応じて変化する議題について友好的あるいは慎重に議論しながら外交関係を築いてきた。 1978年の暮れ、中国はベトナムがラオスとカンボジアに干渉しようとしていることを警戒していた。ソ連の支援を受けたベトナムはカンボジアに侵攻し、1979年の2月から3月にかけて中国はベトナムと戦闘状態に入った(中越戦争)。 ソ連が戦略的に優位に立っているという中国の不安は1979年12月のソ連のアフガニスタン侵攻によってさらに高まった。中国とソ連は鋭く対立し、カンボジアへの干渉を続けるベトナムへの支援の継続、アフガニスタンへの侵攻、ソ連軍の中ソ国境地帯及びモンゴルへの駐留はいわゆる「3つの障害」として中ソ関係の改善に影を落とした。 1970年代から1980年代において、中国はよい外交関係を保ちながら経済開発の支援が可能な地域的あるいは世界的な安全保障の枠組みを作り出すことを模索していた。この時期の終わり、中国にとって西側諸国の近代化の援助は国家的な安全保障と世界的な平和の脅威であるとみなしていたソ連の膨張主義に対して助けになると思われた。 中国はほとんどソ連の膨張主義とその代理であるベトナムとキューバの行動にのみ注視しながら「超大国による覇権争い」について批判的であった。しかし、米国とソ連の外交政策の独立も強調していた。中国は西側諸国との連帯を強めながら、もはや公式なメンバーでないものの第三世界や非同盟に政治的、経済的に強い関心を持ち続けていた。 1989年6月の六四天安門事件の後、多くの国が中国との経済援助のみならず外交関係も消極的になった。中国は回復のため努力し、1990年の暮れにはほとんどすべての国との外交関係が正常化した。1991年暮れのソビエト連邦の崩壊後、中国は旧ソ連諸国とも外交関係を結んだ。
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