堤防道路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/07 00:31 UTC 版)
当初の計画では、締切堤防の用途には農業用水確保のほか、国鉄宇野線の短絡線と岡山市-玉野市間の短絡道路とすることが盛り込まれていた。しかし鉄道と道路は計画段階で放棄され、農林省が土地改良法に基づいて行う単独事業となった。農業用水専用の堤防となったことで、干拓農家組織である児島湾土地改良区が、締切堤防に加えて湖岸堤防の管理も単独で行う必要が生じた。改良区は管理費を捻出するため、締切堤防に(農業用水とは関係ない)道路を作るのであれば有料道路とすることを主張した。一方で改良区以外の関係者は、堤防は国の事業による公共の財産であるとして無料開放を主張した。 堤防完成から2年間の協議の末、1961年から有料道路として供用開始。しかし堤防完成でそれまで「陸の孤島」だった状態から解放されると期待した郡地区の住民による無料開放運動は高まり、無料突破デモを繰り返すなどの実力行使が行われた。各種選挙でも争点となり、岡山県議会でも協議されたが、岡山県、岡山市、改良区のそれぞれの思惑が一致せず、なかなか無料開放には至らなかった。 1974年、揚水施設の管理費負担は国と県市町村、締切堤防は県管理とすることで決着。同年10月、堤防完成から15年を経て無料開放が実現した。 無料開放から4年後の1978年には、1日に1万台が通過する交通量を記録している。
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