創刊当初
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 09:25 UTC 版)
「ニューヨーク・ワールド」の記事における「創刊当初」の解説
ワールド紙は1860年に創刊された。1862年にマントン・マーブルが買収し、売却する1876年まで自ら編集長を兼任した。マーブルはワールド紙を、自由貿易を支持する民主党寄りの紙面に変えた。1863年のニューヨーク徴兵暴動の際には、『ニューヨーク・トリビューン』や『ニューヨーク・タイムズ』のような共和党系の新聞とは違い、マーブルのワールド紙のオフィスは襲撃されなかった。 1864年の大統領選挙の際に、ワールド紙に掲載されたリンカーン大統領からのものとする文書が偽造であることが判明し、ワールド紙は詐欺罪で起訴された。リンカーンはマーブルを逮捕し、ワールド紙のオフィスを軍の監視下に置いた。ワールド紙は3日後に発行を再開することが許された。 1872年の大統領選挙で、ワールド紙は、自由共和党(英語版)から出馬し民主党の公認を受けたホレス・グリーリーの選挙活動に対し猛烈に反対した。マーブルは1876年の大統領選挙で民主党候補のサミュエル・ティルデンが敗北したことに嫌気がさし、選挙後、ペンシルバニア鉄道の社長トマス・アレクサンダー・スコットが率いるグループにワールド紙を売却した。 スコットは、ワールド紙を「事業買収のためのプロパガンダ手段」として利用した。しかし、スコットは新聞社の損失拡大に対応できず、1879年には、テキサス・アンド・パシフィック鉄道(英語版)を含む取引の一環として、金融業者のジェイ・グールドにワールド紙を売却した。グールドもまた、ウエスタンユニオンの買収のためにワールド紙を利用した。しかし、グールドも同様に新聞社の財務状況を好転させることができず、1880年代には年間4万ドルの赤字になっていた。 1868年に『ワールド・アルマナック』という年鑑の発行を開始した。この年鑑は2021年現在でも発行されている。
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