休ヶ岡八幡宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:38 UTC 版)
休ヶ岡八幡宮 - 正式には薬師寺休ヶ岡八幡宮。南門を出て、公道を横切った向かい側の敷地にある。明治時代の神仏分離後も独立せず、現在も薬師寺の鎮守社であり続けている。創建は寛平8年(896年)。別当栄紹により豊前国宇佐八幡宮から八幡神を勧請したのに始まる。なお、休ヶ岡の名の由来は、斉衡2年(855年)に大安寺の行教が八幡神を宇佐八幡宮から大安寺八幡宮(現・元石清水八幡宮)に勧請する際、この地で八幡神が休息されたことによる。なお、別の寺伝によると、それ以前の天平勝宝元年(749年)、東大寺大仏殿建立にあたって八幡神を勧請して手向山八幡宮を作ろうとした際に、当地で八幡神が休息されたことを契機としてここに八幡宮が建立され、地名も休ヶ岡になったという話もある。本殿(重要文化財) - 祭神:僧形八幡神、神功皇后、仲津姫命。慶長8年(1603年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建。 北脇殿(重要文化財) - 慶長8年(1603年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建。 南脇殿(重要文化財) - 慶長8年(1603年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建。 北座小屋 - 慶長年間(1596年 - 1615年)豊臣秀頼による再建。現在は社務所となっている。座小屋が現存しているのは珍しく、貴重である。 南座小屋 - 慶長年間(1596年 - 1615年)豊臣秀頼による再建。
※この「休ヶ岡八幡宮」の解説は、「薬師寺」の解説の一部です。
「休ヶ岡八幡宮」を含む「薬師寺」の記事については、「薬師寺」の概要を参照ください。
- 休ヶ岡八幡宮のページへのリンク